映画「和」 何を成長と呼ぶのか? 2014/02/10 8:06 AM 今、成長しようとしている方、 昔、成長しようとした方、 いったい何を成長と呼ぶのか、教えてくれませんか? シェアしましょう ! Tweet « 映画「和」 無意識に従う自分 映画「ワンネス」 無意識からの通信は、サインより早く来る » コメント まるこ より: 2014/02/10 15:29 何を成長と呼ぶのか考えてみたこともないです。でも自分もずっと何らかの成長を目指して生きてきたことは確かです。自分が漠然と持っていた成長の内容は、その時その時で変化してきたんじゃないかと思います。すぐに思い浮かんだのは、自分の性格の中で自分が短所だと思っている部分を直すことです。できないことをできるようになったりするのも成長だと認識してきたんじゃないかと思います。周りの評価も成長のバロメーターになっていたと思います。親とか学校とか友達とか。社会人になってからは会社でデキル人間やワカッテイル人間になることが成長だと思ってきたと思います。こうやって書いてみると、そのときそのときに自分が認識した一定の価値基準を少しでも多く満たすことを成長と感じて、それが良いことだと思ってやってきたのかなと感じます。 たむ より: 2014/02/10 19:04 この質問は衝撃でした。 金持ちになる事、人に認められる仕事をする事、仏様のような心を持つ事。 そういうのが成長だと思ってたけど、今日思いました。 それがどうした?と。 理由なく楽しい状態の人と比べたら… それが何か?という感じです。 どせい より: 2014/02/10 21:34 私は、例えば「できなかったことが、できるようになる」「分からなかったことが、分かるようになる」そういう部分に「成長」を感じていたと思います。そう考えると、成長という視点は、できないことや、知らないこと・・そういうのを克服することに焦点が当たっているのかもしれないです。例えば、知らなかったこと、できなかったこと、そういうものをそのまま受け止めることができれば、もしかしたら「成長」というのも必要なくなるのかもしれないと思います。 桃有 より: 2014/02/10 21:46 成長ときいてすぐに浮かんだのが、「すべてをゆるすこと」でした。自己啓発の本とかにのっていたきがします。そうすることで、幸せになれるということだったように思いました。自分にできる分けないなと思いました。今思うと、とってもきれいごとだなと思いました。 なんしぃ より: 2014/02/10 22:36 運命が決まっていて、個は意識では未来を知らないとなると、成長ということが幻想のように感じてきました。何をどう頑張っても努力しても、決まっていることしか起これなくて、未来を知らないから、どのように成長したらいいのかさえも本当は誰も知ることができないと感じています。成長ということは未来が決まっていない白紙だ、自分で人生を切り開くことができるという考えから出てきた意識だけのことである感じがしてきました こはな より: 2014/02/11 01:57 成長について考えたことはなかったです。けれど、自分の中では、良いことの方に分類されていたと思います。 まりん より: 2014/02/11 18:20 成長というのはイイコトだと思ってきたように思います。でも、成長とは何か?と聞かれて、「今よりももっと。。。。」という言葉が浮かびました。成長というのは、今のままではいけないという否定から始まってます。肉体的に子どもから大人になるのも成長というけれど、そこには否定は感じないです。自力で成長してるわけじゃないからです。それなのに、成長を精神的な意味で使うときは、自分で成長していけるかのように思ってます。夢や目標と同じで目指していくのが成長だと思ってました。肉体も内面も自然に変化するけれど、成長というとき自力でコントロールできるという意味で使ってきたように思います。 みっく より: 2014/02/12 07:59 どういうことを成長というのかと改めて考えると、分からなくなってきました。時間軸で先に進んだときの自分に対して、こんな風になっていればいい…と思う姿・・・それが、今よりも良いと思う自分の姿である時、それが成長と思うのかもしれないです。でもそれは、今の自分を否定してしまっているんだと思います。成長することはいいことなのか、成長する必要はあるのか・・・いろいろ考えてしまいました。
何を成長と呼ぶのか考えてみたこともないです。でも自分もずっと何らかの成長を目指して生きてきたことは確かです。自分が漠然と持っていた成長の内容は、その時その時で変化してきたんじゃないかと思います。すぐに思い浮かんだのは、自分の性格の中で自分が短所だと思っている部分を直すことです。できないことをできるようになったりするのも成長だと認識してきたんじゃないかと思います。周りの評価も成長のバロメーターになっていたと思います。親とか学校とか友達とか。社会人になってからは会社でデキル人間やワカッテイル人間になることが成長だと思ってきたと思います。こうやって書いてみると、そのときそのときに自分が認識した一定の価値基準を少しでも多く満たすことを成長と感じて、それが良いことだと思ってやってきたのかなと感じます。
この質問は衝撃でした。
金持ちになる事、人に認められる仕事をする事、仏様のような心を持つ事。
そういうのが成長だと思ってたけど、今日思いました。
それがどうした?と。
理由なく楽しい状態の人と比べたら…
それが何か?という感じです。
私は、例えば「できなかったことが、できるようになる」「分からなかったことが、分かるようになる」そういう部分に「成長」を感じていたと思います。そう考えると、成長という視点は、できないことや、知らないこと・・そういうのを克服することに焦点が当たっているのかもしれないです。例えば、知らなかったこと、できなかったこと、そういうものをそのまま受け止めることができれば、もしかしたら「成長」というのも必要なくなるのかもしれないと思います。
成長ときいてすぐに浮かんだのが、「すべてをゆるすこと」でした。自己啓発の本とかにのっていたきがします。そうすることで、幸せになれるということだったように思いました。自分にできる分けないなと思いました。今思うと、とってもきれいごとだなと思いました。
運命が決まっていて、個は意識では未来を知らないとなると、成長ということが幻想のように感じてきました。何をどう頑張っても努力しても、決まっていることしか起これなくて、未来を知らないから、どのように成長したらいいのかさえも本当は誰も知ることができないと感じています。成長ということは未来が決まっていない白紙だ、自分で人生を切り開くことができるという考えから出てきた意識だけのことである感じがしてきました
成長について考えたことはなかったです。けれど、自分の中では、良いことの方に分類されていたと思います。
成長というのはイイコトだと思ってきたように思います。でも、成長とは何か?と聞かれて、「今よりももっと。。。。」という言葉が浮かびました。成長というのは、今のままではいけないという否定から始まってます。肉体的に子どもから大人になるのも成長というけれど、そこには否定は感じないです。自力で成長してるわけじゃないからです。それなのに、成長を精神的な意味で使うときは、自分で成長していけるかのように思ってます。夢や目標と同じで目指していくのが成長だと思ってました。肉体も内面も自然に変化するけれど、成長というとき自力でコントロールできるという意味で使ってきたように思います。
どういうことを成長というのかと改めて考えると、分からなくなってきました。時間軸で先に進んだときの自分に対して、こんな風になっていればいい…と思う姿・・・それが、今よりも良いと思う自分の姿である時、それが成長と思うのかもしれないです。でもそれは、今の自分を否定してしまっているんだと思います。成長することはいいことなのか、成長する必要はあるのか・・・いろいろ考えてしまいました。