
ギリシャ神話はどうでしょうか。
同性愛がはびこる月世界にひときわ美しい女性がいました。
月の女王アルテミスのカノジョであるカリストです。
ゼウスはビーナスに頼みます。
「ねえねえビーナス、僕をビアン系の美人に変えておくれ」
「まさか月世界に行くんじゃないわよね」
「さすがビーナス君、当たり、ピンポン♪」
「しょうがないわねえ」
こうしてビーナスにビアン系の女性に変えてもらったゼウスは、カリストの元に行ったのです。
はと座とエライ違いです。
いったいこの差は何なのでしょう。
神様を測るモノサシが違うみたいです(笑)
神様を測るモノサシの違い。。。考えもしなかったです。今まで測られてばかりで、そのモノサシに合わせようとしてきいたけれど、実は私たちが作ったモノサシで生まれた神だったのだと思います。欲望とか好奇心に神を感じてたギリシャ人たちのモノサシに対して、成長や学びに神を感じたキリスト教の人たちのモノサシ。。。全然違います。
もりけんさんはやっぱり筋金入りで神に興味がある・・・と思いました!はと座を新設したキリスト教・・チッチェのはキリスト教の思う神様像なのだと思います。古代の人はゼウスやビーナスを肯定していたのだと思います。ビアン系の美人にして~とか楽しいです(笑)
同性愛が流行ったと皆殺しにする神に対して、ゼウスはビアンの園に入っていきました。それは、自分がビアンであっても、その相手が好きだから、理由はないです。ビアンだから嫌いとか、ビアンをやめて異性を好きなノーマルな女性になったら好きとかではないです。ゼウスは人を愛することにわけなんかないのだと感じました
これだけ神様が率先して「快」に生きてくれたら人間だって毎日元気になります(笑)ちゃんと女の園のルールを守って美女に変身させてもらってからカリストを攻めるゼウスもいいです。一神教の神様みたいに全部自分で思いの通りやるんじゃなくて、他の神様に「ねえねえ」って頼んじゃうところも間接的でいいなと思います。