実は「ワンネス」の次の映画がスタートしています。
その関係で色々なところにいきます。
僕は主題歌を持って行きます。
すると言われます。
「ワンネスだけでなく次の映画の主題歌も森田さんが作詞するのですか?」
「はい」
「映画監督が主題歌の作詞までするのは、あまり知らないです」
(爆)
夢を実現することを肯定する人に聞きたいことがあります。
夢を実現したという状態はどういうことですか?
例えば映画監督で賞を取ることでしょうか?
例えば作詞でプロになることでしょうか?
例えば素晴らしい飛行機の設計者になることでしょうか?
もっと聞きたいです。
神はプロですか?
僕の仮説を書きます。
神はアマチュアなのです。
だから好奇心が好きなのです。
みなさん、夢だのプロ意識だのにとらわれて、自分の人生に制限をかけていませんか?
唸っています。神のことを本当に考えているのかと自分で思ってきます。神がプロなら、こんなに多様な世界は作らなかったと思えます。プロの料理人は家庭料理は作れないという人が多いそうです。家庭料理とは違うという意識がどうしても抜けないからと聞いたことがあります。これは自分を制限してしまっているんだと思います。家庭で食べるものは、美味しければなんだっていいんだと思います。自分でいろいろと工夫できます。もりけんさんが監督なのに主題歌の作詞まで手掛けて、それがとてもいい歌詞になっているのだと思います。「ワンネス」の主題歌、素敵です。次の映画も来ていると思います。神がプロかアマチュアか?がとても面白いです。またレスしたいです。
私は夢を実現させることを肯定していたけれど、今は変わりました。夢がないほうが楽しいと思います。ずっと前は夢もなかったし、最近は夢もなかったです。欲はあります。夢を持っていた時は、自分の人生の方向が制限されていることには気づいていなかったです。神は自分のことを、こうですとか、神です・・とか言っていない正体不明です。自分から自分を定義していないところがアマなんじゃないかと思いました。
考えるほどに…神はプロも賞も夢も問題にしてないんだなって思いました。これらを伝えるために生まれ変わりましたという方がまだ居らっしゃらないと思いました。
そして…一方この世には国境関係なく伝わってくアマチュア無線とかの世界があるのだとおもいます。方向は定められないけど好奇心をつたったものがそういう壁をこえて世界にワンネスになってくんじゃないかなって…なにか考えさせられました
元々私はだれかもわからないし、夢や目標をもって生まれてきたわけでもないです。子供のころは好奇心いっぱいで、いろんなものに興味をもって飛び込んでたけれど、大きくなるにつれて、好奇心よりも夢を持つことが大事だと思いこんでました。今回の問題提起に、とても考えさせられます。もともと夢をもって生まれてきたわけじゃなくて、私は何者かも決めつけられてないのに、自分で自分を決めつけようとしてるんだと思ったからです。自分からわき上がってきたものじゃなくて、外側の価値観に合わせて自分を規定しようとしてるんだと思います。
好奇心は無意識からわき上がってくるもので、もともと自分に備わってるものです。夢は私が意識して作りだしたものです。
もりけんさんの仮説は、外側の価値観じゃなく、神や時空への問いから出てきたもので、今まで出会ったことのない神だって思います。アマチュアの神、好奇心が大好きな神が、この世界を作ったから、こんなにも多種多様な世界で、刻一刻と変化し続けてるのかもしれないって思います。もともと誰もがアマチュアで好奇心いっぱいな、そんな私のままでいいんだなって思います。
自分を含めて多くの人は、本当はアマチュアであるにも関わらず、アマチュアであることを否定して、プロになろうとしているのではないかと思います。それは、たぶん、プロになることで、自分に「価値」みたいなのを見出したいのかもしれないです。もともと、中身が空っぽなのに、プロになることで固定された価値みたいなのを作ろうとしていると思います。
ですが、プロになるということは、ある面で、それ以外になることを切り捨てることになるのかもしれないです。これは、「夢や希望」を実現させることも根っこは同じで、自分から切り捨ててしまったり、自分で制限をかけてしまうことになると思います。
神は・・・ずっとアマチュアのままなのだと思います。
何でもないアマチュアのまま、全てに開いていて、この世界を作られていて、全体のバランスは気が遠くなるほどの美しい調和を保たれていて、だれもが代替可能になっていると思います。
作詞家になろうと思ったら、プロの世界の人達に教えてもらおうとすると思いました。作詞のポイントとかタブーとか決まりごとを教えてもらえるかもしれないです。そしてもしかするとホントに教えてくれた通りの作詞家になれるかもしれないです。神がプロだったら、私たちは教えてもらうだけになってしまうかもしれないです。プロに教わって、教えてくれた通りの人になっているかもしれないです。でもそうすると神は何も新しいものは得られないかもしれないです。神だってもっといろいろ知りたいかもしれないと思いました。その方が面白そうだと思いました。
でも~ずっと前の電波のお話しだと.戦争に利用されちゃった…(x_x;)
監督が主題歌の歌詞まで作るということ聞いたことないです。書いてると聞くと驚かれると思いました。
普通は作詞は作詞家に作曲は作曲家にと思うことで書いてみたいという好奇心が起きないのかもしれないなって思います。
大抵の監督は「主題歌の作詞はプロの作詞家がするもの」と、ハナから思い込んでいるか、自分で決めてしまっているのだと思いました。そうやってどんどんプロの映画監督になられるのだと思います。そしてその中のごく一部の方が「巨匠」とか呼ばれるようになるのだと思います。まさに夢がかなってプロ中のプロになる瞬間なのだと思います。でも森田監督の生き方はそうではないのだと思います。以前から「私がやっていることは環境適応業」とおっしゃられていることを思い出しました。環境が変化すればいつでも何にでも変化する。映画監督もやれば作詞もやる。好奇心全開でいまここを楽しむ。人それぞれ色んな生き方がありますが、一つに絞らない生き方の方が断然楽しいと思います。時空を創った神もきっといろいろ経験したいと思っているのではないかと思います。
神が一つのことにいでてるプロをよしとしているのなら、スープは飲ませない・・と思いました。そして、唯一スープを飲ませた生まれ変わりの村の人たちは、前世記憶があるのに全然プロっぽくない、何も目指さない人たちだと思います。神はやっぱりアマチュアが好きで、人間もそういう風に作ったのかもと思います。なのに人間はプロを目指したり、プロ意識を持ってしまったりしていると思います。ある人生がその道のプロだったとしても、生まれ変わりを繰り返す長い人生のスパンで考えると、なんだかそれがどうした?ってほどかもと思います。
もりけんさんが監督として作詞までされるというのは、プロというものは存在しないと思われてるみたいに思います。もし、その道のプロをよしとすれば、監督は作詞までしなくていいと思ったり、自分は作詞のプロでないからそれはできないと思ってしまいそうです。それはスゴイ制限になるんだと改めて思いました。一つの映画を作るのにプロという意識を取っ払って、とことん関わっているもりけんさんだと思います。
夢が叶ったその瞬間はとても嬉しかったですが、それだけのことでした。そのことに愕然としました。何かが劇的に変わるわけではなく、そのあとも変わらないいつもの日常でした。何者かになるために夢を作って、向かってきたんだと思います。プロになる、多くの人に認められる、などです。
神はプロかアマチュアかという問いが本当に凄いです。そのような視点には出会ったことがありません。神は全知全能の存在として、それ以前の神の性質について語られたことを知らないです。自分でも考えたことがないです。
神がアマチュアだと、何かを目指すために宇宙を作った訳ではないのだと思います。宇宙も好奇心のひとつで生まれたのだと思います。神はアマチュアで好奇心が好きなら、神に何かを期待して願い祈ることも、夢やプロを目指すことも、全然ずれていると思いました。