映画「生まれ変わりの村」・・自分という意識を手放した状態で、初めて「在るがまま」

2014/10/16 7:55 AM

  
 主題歌には「自分を手放す」と「在るがまま」というフレーズがそれぞれ3回出てきます。
 これは意味としてもペアだと思います。
 なぜなら自分を握りしめた状態が「有りのまま」だと感じるからです。
 夢に向かって突き進むのも、有りのままです。
「在るがまま」はそれとは逆です。
 自分という意識を手放した状態で、初めて「在るがまま」になれると思うからです。


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コメント

  1. まりん より:

    自分をしっかりもつこと、夢をもつこと、努力すること。。。そういった生き方が求められてきたし、私もそんなふうに自分という意識を握りしめたままです。「生まれ変わりの絆」はまったく新しくて未知のあり方を問いかけてくるのだと思います。ほとんどの人たちにとって初めて出会う自分なのかもしれないです。3回リフレインするだけでなくペアで出てくるのも二つのフレーズはつながってるからなのだと思います。生まれ変わりの村の人たちやもりけんさんを感じるフレーズです。

  2. 和佳 より:

    「自分を手放す」と「在るがまま」はペアなんだなって思いました。
    そして「自分を握りしめる」のと「有りのまま」もまたペアみたいだなって思いました。なんか…さっと うなずきたいけど…どうにも難しかって…唸ってて…実際に手を握ったり開いたりしてイメージして見てて…あと手放しっていうとその動作ではたりず…自転車とか…あとなにか落っこちないようにコントロールというかで握ってるものをはなす感じがあります。…握リ締められる自分は非常に小さい生き物みたいだし…手放しの方はなんか…なんだか分からないけど握りしめられるほど小さくはなさそう。そして…手放せない状況ならそれが動いてるかこっちが落ちそうとかで…掴んでるのだからなにか頼れる感があって頼ってるのだって感じがあるけど…でも…自分とおぼしきなにかと離れたこと無いからほんとにそうなのか…それが強いのか弱いのか頼りがいあるのか困ってるのか…もしかして全てか多くを見たいなら手を離さないといけないのかなとか………なんかうまくいえないんだけど…やっぱ…うーってなって…もとにもどって考えてます。自分は自分を意識する時…なんていうかまとめて自分というもので握ろう(コントロールして掌握しようとういうかです。)としたことはあっても…もう腕のほうからすぱーんと手放すというふうになにかを感じたことはないのかもしれないなと思いました。

  3. 桃有 より:

    有りのまま‥は力強い感じがします。自分を握りしめて、未来に向かって全身に力がみなぎっている感じだなと思います。在るがまま‥は自分を手放す‥とペアなのだと思います。自分を手放したら、なんか力が抜けていく感じだなと思います。有りのまま‥と在るがまま‥が違っていることも良くわからなかったです。歌の中で「自分を手放す」と「在るがまま」というフレーズがそれぞれ3回出てくるのだなと思います。何回も聞くたびに、二つの言葉が合わさって何回も自分に入ってくるのだなと思いました。

  4. なんしぃ より:

    有りのままでは、渋谷のスクランブル交差点は渡れないかもしれないと感じました。自分の行き先を強く持ち、人とぶつかってもその自分の行くてを行こうとすると、人とぶつかって前に進めないかもしれないと感じました。在るがままには、和風を感じました。全体で生き物のような感じがしました。自分だけのことではない感じがしました

  5. こはな より:

    自分という意識を手放したとき、現れるのは無意識だと思います。だからペアなんじゃないかと思いました。

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