映画「生まれ変わりの村」・・裁かれなければ何をしてもよいのか?

2014/10/12 9:06 AM

  
「どうして死んだのですか?」
「あの日、ドジを踏んでしまったんだよ」
 で始まるヤクの売人の話は原作「生まれ変わりの村①」でも異彩を放っていました。
 これを映画に入れるかどうかは、紆余曲折がありました。
 そして入れることになりました。
 罪を犯しても裁かれないことを伝えるためでもあります。
 裁かれなければ何をしてもよいのか?
 そういう問題提起もしたいです。


シェアしましょう !



コメント

  1. まりん より:

    罪を犯すと裁かれる。。。今までの常識はこの世だけの常識で、あの世には通用しない。。。そのことを身をもって体験されたヤクの売人の体をはった証言から問いかけられるのだと思いました。この世では罪は軽いものから重いものまでさまざまです。私も交通違反や人を傷つけたこともたくさんあります。ヤクなら重罪だとしてもあの世で裁かれなかったこと、裁かれないなら何をしてもいいのか?とても考えさせられます。命がけの証言を取り上げることにした映画からの深い問題提起だと思いました。

  2. 桃有 より:

    ヤクの売人さんのことは紆余曲折があったのだなと思いました。すごい深い問題にかかわることなのだと思いました。罪を犯す方される方、などいろいろな人の考えがあると思いました。命にもかかわることもおきてくると思いました。価値観の揺さぶられ方は相当なものになりるのだとおもいました。きれいごとでは考えられなくなるかもしれないと思いました。ものすごい問題提起になるのだと思いました。

  3. なんしぃ より:

    ずっと悪いことをしたら、あの世で裁きがあると思って生きてきました。裁かれるということが悪いことをする防止になると考えてきましたが、今ここで根底から問われた気がしました。そして、自分で自分の行動を制したり、自由に意思を持って生きているのか問われている感じがしてきました。生きるとはなにかを根源から問われている感じがしました

  4. こはな より:

    ヤクの売人のおばちゃんのお話、とても楽しかったです。映画に入れるかどうかの紆余曲 折は・・とても色々なこと深く考えられて、決まったのだと思いました。 罪を犯しても裁かれない・・すごい情報です 。映画をみる私は問いかけられて、自分で考えるのだと思います。

  5. 小町 より:

    ヤクの売人だった生まれ変わりの人のお話は罪を償いというものをどうすると罰せなければ悪いことをドンドンしてしまうというものをはらんでいると思ってきます。私の友人はこのエピソードに感動していました。罪を償うという部分では生まれ変わることで自動的に反省が出来るんだととてもいい話だとなって涙まで流していました。人から罰せられたり償わないといけないは芯から悪いことがやめられない気がします。裁きが無いことで人はやっと自分で反省する機会を得られる気がします。

© 2015 森田健 All rights reserved.