映画ワンネスを海外の映画祭に紹介するための文章を書きました。
『「私」とは何でしょう?
「私」とは、人生を作り出していくうえでの原因でしょうか?
ここに疑問を投げかけたのが、映画「ワンネス」です。
私たちは、「私」が未来を作り出していると思っていますが、実際のところ一秒後に何が起こるかわかりません。それは撮影手法にも反映されています。映画「ワンネス」では前方を映しません。登場人物が動くときは前から撮るので、スクリーンに映る風景は現在と過去だけです。すべての生命体はこうして生きているはずだからです。
一秒後に何が起こるかわからないということは、「私」とは、原因ではなく結果であると言えるかも知れません。
「私」の内部を見れば、無意識からの指令で動いている部分が大きいです。ということは「私」は無意識の結果だということになります。映画「ワンネス」では意識と無意識を分離させて物語りを進めます。これにより「私」の中の結果の部分と原因の部分が別々に表現されます。そして最後には再統合されます。
ここまでは「私」の内部の話ですが、「私」の外部で言えば、周囲の結果であるとも言えます。なぜなら生命体は周囲の影響がとても大きいからです。ということは「私」と周囲は切り離されてはいないということになります。
映画「ワンネス」ではヒロインを二つの手法で救います。ひとつは意識と無意識の統合です。もうひとつは自分と周囲の統合です。映画の題名は「統合」から取りました』
英語とフランス語に訳します。
ということは、もちろん外国人向けです。
「私は結果」という概念を、どう受け取るでしょうか?
正直どう受け取られるのか分からないです。ここに書いてあることが理解できるのかどうかも分からないと思います。欧米人は日本人とは比べ物にならないくらい、ここに書かれてあることの真逆の視点で生きているのではないかと思います。過去と現在の私が未来を生み出しているから未来は予測可能である。意識の指令で自分も自分の外側もなんとでもなる。「私」という個が外側に影響を及ぼし外側を作っている。「私は原因」が日本人よりも優位だと思われる欧米人だからこそ、この紹介文を読めば「ワンネス」が何を意味するのか、実際に映画を見て知りたくなるのではないかと思います。
そのような問いがあることに驚き、私は結果という仮説にすくわれる感じがしました。人間は国籍がどこであれ、子供から大人になり老人になると思います。私が原因で生きてきた場合、中高年のどこかで行き詰まり限界点を感じるときが必ず来る気がします。その時にもう生きれなくなるかもしれないです、でも私もそうでしたが、もりけんさんの問いと実体験からの仮説を共有させていただき、もう一度生きてみたい、生きたいと感じる気がしました。視点が個の出来高に向かわず、原因の世界に向かう感じがしました
外国人・・特に、西洋人にとっては、これまでもう当然のことのように思っていた、「土台」に初めて疑問を投げかけられるようなものかもしれないです。これまで当たり前のように、「私」というものについて、天動説的に捉えてきたのではないかと思います。ですが、「ワンネス」は、この根幹に、疑問を投げかけた・・と思います。がっちりとした土台であったとしても「もしかして・・「結果」なのか・・」と少し頭をよぎっただけでも、もうそこで、揺らぎがでるのではないかと思います・・。
しかも、投げかけられる文章が合理的です。内部から見ても無意識の結果、外部から見ても周囲の結果・・いずれにせよ「結果」ではないか、と投げかけられていて、ここもすごいと思います。また、さらにすごいところは、それでも最後は「統合」がテーマだというところです。周囲の結果、無意識の結果・・自分は、「結果」なのか・・と思ったとしても、分離して終わりなのではなく、最後は「統合」されて、ここも外国人にとっては、まるで神との統合のように感じられるのではないかと思います。
もりけんさんは、映画「ワンネス」の紹介文を書いて、映画は、もりけんさんの問いから生まれた仮説で作られているのだと思いました。この映画を外国人にみせたらどう受け取るか・・外国人の方に見てもらうまで、保留状態なのだと思いました。
読んでてとても興味深かったです。あらすじというかコアな部分は…結果と原因が別熱に表現されて再統合されるとこなんだなと思いました。映画をおもいだしてて…そこでの「私」がどこにいたかというと…智也がシュジンコウであり…すごく巻き込まれ系というかな映画だったなぁって。なんか……「主人公」という字も…公がめだって来る感じというか…小公子みたいにおもえます。…主人といってもなんというか王子様的なかんじというか。…私は童話とか民話がすきなのですが…王子はなんか…なんかポーッとしててその身分に生まれちゃったってだけで…この世の果てに行ったり変身したり呪いのかかってるお姫様にあったり。なんか運や賢い人にたすけられて…そして奇妙に世界からはみ出ていくのかとおもうと…なんかめでたくなって普通におわることがおおいというかだなと思ってます(個人的な捉え方かもです)…あんまり自力バリバリ系のヒーローではないなぁって。そして我が事を起こして、未来を知ってて…だったらある意味…悪の帝国的ななにかというかになってしまうきがします。…そう考えてると…森田さんの映画…映画のなりたってる大事な肝みたいなのピッと指してるみたいな感じするし…とても微妙な信号というか…なにかをもってるんではないかと思いました。それらは私達が生きてることと関わりが深いのだともかんじます。そして外国の人がどのように受け取るか、こういう問いかけができるのも紹介文ならではなのだとおもいました。…フランス!っていうのがものすごく新鮮です。私達は英語とか習ったりしてきたけど…フランスはなにか日本に影響力あるのに…どっか未知だなぁって思いました。紹介文が深くて、なんか本質的な交流がされるのだなとおもいました。
それから…投稿しようとして なにかくるものがあって「一秒後に何が起こるかわからない」ってすごいいいなとおもいました。映画、原作もなしでぱっとみたらほんとにそんな感じだったかもって。普通は映画って予感させて予測させてドン!キタ!みたいな手法つかってるきがするんだけど…人生にはほぼそういうとこはないような…。(勝手に想像してたみたいなことがおおくて)…例えばアイフォン時代とか思いもしなかったし。そしてデジタルチックなことを映画のテーマにしてるものって時々あるけど…ほんとにデジタルって一秒先も?な…こういうことかもっておもったし…それを「私」という切り口から言い換えたら「「私」とは、原因ではなく結果である」なんですね。なんかすごく感心してて…ちょっとうまく言葉にならなくなりました。私自身が…微妙なところ取り出されて…一秒ごとにデジタル化されてくみたいな(普段だとアナログなの?てかんがえたくなるぐらいのリズムというかだったりするので)…すごいとこあるなって思いました。そして…いい紹介文だなっておもいました。どうしてかというと…考えてること言うって大事なんだなっておもうから。映画だけにとどまってなくて…製作に哲学まで感じるぐらいの文章だなって思いました
過去と現在から勝手に先のことを想像しているだけで、ほんとに1秒先のことだってわからない私たちなんだと思います。「ワンネス」のカメラはそんな人の意識と同じように、現在と過去だけを映すという方法を取り入れて、撮影されたんだと思います。カメラの撮影方法にはいろいろあると思いますが、人間が認識する世界と同じにするという視点、考えからの撮影方法は他にはないと思います。
また、主人公がヒロインを助ける方法も、主人公自身が変わったり頑張ったりするのではなく、内部と外部、両方において、統合ということが行われて、ヒロインが助かる・・といいうのがすごいと思ます。意識と無意識、自分と周囲が統合する、繋がる・・というのは最強なんだと思いました。この統合は、映画の主人公だけでなく、それを見ている私たちにも可能なことのはずと思いました。
映画のストーリーの奥に、人間の存在についてのすごい仮説があるというのがほんとにすごいと思います。
調べたりよく考えたりすることもなく簡単に同意するのはいけないことなのだと思いますが、日本人はなぜか受け入れやすいかもしれないと思いました。お陰様という言葉があるように、私は周りの影響を受けているということを昔からなんとなく感じているところがあると思いました。しかし、外国人はどうなのかと思います。外国のかたが考える「私」は意識が強い私なのかもしれないと思います。自分で作り出す未来や世界なのだと思います。「私は結果」をすごく反論するかもしれないと思いました。とても注目の映画になると思いました。