映画「和」 紹介文における「あいまいさ」

2014/02/22 8:50 AM

  
 映画「和」を海外の映画祭に紹介するための文章を書きました。
 
●発端は東日本大震災
 2011年の東日本大震災では地震、津波で大きな被害がでました。がれきの中から死ぬ思いで助けられた高齢のおばあちゃんが、救援隊の人に「迷惑をかけて申し訳ありませんでした。私はいいから他の人を助けてあげてください」と言いました。物資が配布される時は皆整然と何時間も並びました。
 森田監督にとってこれが映画「和」を制作するきっかけになりました。「長いものには巻かれろ」ということわざがありますが、日本人は自分の意見を言わず、周りに合わせる傾向があります。でも東日本大震災ではそれが利点に変わったと思います。森田監督はそこからテーマを発展させ、意識と無意識という問題を地球人全体への問いかけとして「和」という映画にしたのです。
 
●現代日本文化の紹介
 インタビューは渋谷のスクランブル交差点、原宿の竹下通り、秋葉原のメイド喫茶、空手道場、回転寿司屋といった現代日本文化の中心で行われました。そこで行きかう人々は、現代日本をそのまま表現していると思います。日本も変わりつつあります。それを知ることができる映画です。
 
●ジャンル分けのない映画
 ドキュメンタリーとフィクションがまるでスクランブル交差点のように交錯します。フィクションで出た問いにドキュメンタリーで答えたりするからです。そして最後はドキュメンタリーもフィクションもひとつに向かいます。
 人生にはジャンル分けはありません。しかし映画になるとなぜジャンル分けがあるのでしょうか? フィクションあり、ノンフィクションあり、実写あり、アニメありという映画もあって良いはずです。それが「和」です。もともと私たちが住む世界にはジャンル分けはありません。
 
 紹介文は以上です。
 西洋人のほうがジャンル分けは好きだと感じます。
 イエス・ノーをはっきり要求する点にもそれを感じます。
 日本人はあいまいが好きです。
 スクランブル交差点もそうです。360度どこからでも渡れます。
 あいまいでもオーケーになったとき、世界平和が訪れるかも知れません(笑)


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コメント

  1. 小町 より:

    日本のあいまいさが東日本大震災では利点に働いたに唸ります。順番が来れば食料も受け取れることは相手への全体への信頼に繋がってくると思います。西洋人はどちらかと言えば、サバイバル的な自己主張をしてしまうと思います。弱いものを先にするのが正当だとかなってきそうです。でも、そんなに目くじら立てなくても整然とやってしまっていたのが、災害時の日本だったと思います。あの状態で暴動にならないなんて、すごいと思います。日本の特質が「和」で表現されるんだと思います。日本の現在の様子も西洋人にすれば、興味を持たれると思います。ドキュメンタリーなのにアニメやフィクションもあるし、問いが交差するのは素晴らしいなと思います。渋谷のスクランブル交差点も回転ずしも竹下通りも東京駅もアニメもフィクションもすべて日本であり「和」になるあいまいさがジャンル分けできない日本を表わしていると思います。

  2. たむ より:

    人生にはジャンル分けはない。
    カッコイイです!
    和合した時、人間が本当の自分に帰った時、世界平和が訪れるんですね。

  3. みっく より:

    自分の意見をはっきり言う外国の人にも、それがいいことではないかと思ってしまってる日本の人にも、あいまいのよさというか、あいまいでいいのではないか・・という問いかけをしているように思いました。震災では、それまではあまりいいこととして言われてなかった、周りに合わせ、自己主張をしないという日本人の性質が、あの大変な事態の中で利点となったのだと思います。最後の一文もとても考えさせられます。ジャンルに分けてしまっているのは人間の意識みたいに思います。世界はジャンル分けなんかなくて、元々あいまいなのかもと思います。映画ではスクランブル交差点そのものが出てくるだけでなく、内容も、構成もスクランブル交差点のようになってて、映画全体でジャンル分けのない世界を表しているんだと思います。

  4. 和佳 より:

    なんかすごい興味深かったです。…「和」は東日本大震災を発端としておばあちゃんが災害救助というアクション(リアクションかもしれないです)に対して…リアクションしたことがきっかけになってるのだとおもいました。『日本人は自分の意見を言わず、周りに合わせる傾向があります。』ここがまたすごいと思ってて…美談だけでは終わらないなにかを感じました。う~~~~~ってなりまして。外国では日本人の振る舞いが素晴らしいっていわれたのだとおもうけど…それが渋谷に現れたらスクランブル交差点 原宿なら竹下通り、アキバならメイド…道場なら空手、寿司屋なら…回転?!!!!みたいなことかもっておもって…目が反対に行きそうになりました。スシが回転する…のは周りに合わせてかもしれないっておもったからです。(…以前近所にスゴイ頑固親父の店があって、そこはどっちかというと客がいうこと聞いて…回ってるぐらいの感じでした。回ってくるてなんかすごい。)ジャンルの交錯はスクランブルみたいなんですね。スクランブルってなんだっけとおもったんですが…緊急発進の用語にもそういうのあっような気がして……スゴイです。なんていうかごちゃまぜ緊急時にぶつからないで歩く日本人。あたりまえにおもってたけど世界的には当たり前ではない交通状態なんだなって。…以前、中国紀行の交差点で車と自転車が縦横無尽なの見せて頂いて…ありえないからっておもってたんですが…外国の方も日本を見てあんな感じをいだかれるのだろうかとおもって…。それにブッブーと鳴らすこともなく ぶーぶーも言わない…ぶつからない日本人…みたいな…なにかエライコッチャなのではないかと思いました。西洋のかたはイエスとノーをはっきりしてるのですね。意識、無意識ってどちらかというと西洋心理学的なとこあるのではないかとおもうのですが…もしかして私が思ってる以上に…西洋の方にとってはそれらがキッパリと分かれてるのかもしれないんだなと思いました。…なんかキます。(以前伺った前意識なんかも…エライコッチャなんだって気がします)そして…潜在意識をコントロールとかいわれるけど…なんていうかハッキリ別れてないとできないかもっておもったです。そして…そう考えてたら…日本人がイエス・ノーをハッキリ言わないの…向こうの方からしたら…相当におかしな現象だとかんじられてるだろうし…日本人やってて…自分自身でも…なんでこんななんだかさっぱりわからないでいます。なんかできない…ということなのだとおもわれます。とても興味深いなって思います。迷惑かけて…他の人助けて…っていったおばあちゃんもすごく嬉しいんじゃないかなって思います。なんでこうなっちゃうのか…いい話だった…もちろんいい話であるのですが…同時にそれだけで終われない何かが…あちこちに潜んであるって気がします。日本人やってても…実はなかなか気が付けないことみたいに思います。すると監督って一体となるのですが……地球人全体への意識と無意識という問題への問いかけが映画になってるんだなって思いました。

  5. なんしぃ より:

    日本も変わりつつある現代日本文化の紹介がいいなと感じました。日本という国は変わることができる国である感じがしました。そのかわり方も映画で見れる感じがしました。現代日本文化やサブカルチャーは海外の特に若者に大人気である感じがしています。日本人はいつになっても子供心を忘れない大人が暮らしている国である感じがしてきました。大人なのに大人になっていなくて子供心を持ち続けることができているのも、無意識と関係があるかもしれないと感じてきました。そのような映画「和」は日本を知りたい海外の人たちの好奇心をかりたてる映画である感じもしてきました

  6. まりん より:

    日本人なのに、気づかなかったことです。あいまいなままじゃダメだと思ってたんだということにハッとしました。ジャンル分けするのもイエスノーをはっきりするのも、あいまいなままじゃダメ。。。そんな思いがどこかにあるからだと気づきました。震災のおばあさんのひと言も列に並ぶ姿も、現代日本のスクランブル交差点もメイド喫茶もあいまいさが現れてる世界だってことにも初めて気づきました。日本人の私にも、そんなあいまいなままではダメですか?って問われてるみたいです。海外の人への紹介文は、そのまま自分たちを映し出してる鏡みたいです。

  7. こはな より:

    日本人はあいまいが好きだから、あいまいがオーケーで認められることはすごく嬉しいことだと思いました。

  8. 桃有 より:

    日本人が外国に行って競技生活をするとき最初に要求されるのが自己主張すること、というのを聞いたことがあります。自己主張するのは自分とはっきり区別させることなのだなと思いました。自己主張するとスポーツ選手は強くなる感じです。そうやって勝ちに行くのだなと思いました。日本人は「自分が、自分が」、というのが弱いので、みんなが同時にスクランブル交差点も渡れるのかもしれないと思いました。

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