映画「ワンネス」 ワカル人生とワカラナイ人生 2014/02/19 7:39 AM ワカル人生とワカラナイ人生と、どちらが好きですか? (笑) 私はワカラナイ人生のほうが好きです。 ワカル人生は、きっと積み上げていくのだと思います。 たぶん、ワカッテいなくてもワカッタように振る舞うのかも知れません。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「ワンネス」 低次元のすごさ 映画「ワンネス」 紹介文における私は結果 » コメント まるこ より: 2014/02/19 10:06 ワカラナイ人生の方が楽しいです。ワカル人生はどんどん閉じて行く感じがします。ワカラナイ人生は開いたままです。ワカッテいるふりをしてどんどん積み上げて行っても虚しいです。そうやって頑張ったところで、ワカラナイ事実は変わらないです。 こはな より: 2014/02/19 13:15 ワカラナイ人生の方が好きです。憧れているのかもしれないし、ワカラナイです。色々ワカラナイです。 和佳 より: 2014/02/19 17:14 人生…なんかもうこのところ人生が一杯一杯で(私のキャパはいつもだいたいすごーく小さいです)…ちょっと頭が飛んでしまいました。…ワカル人生、ワカラナイ人生ってカタカナに受けてて…自分の人生どっちかなぁっておもうんですが…ワカル!はなんか…デキる数学とかモテる技術とか…なにかなんかそういうのの仲間みたいだなっておもいます。好きというより…なんか実用で目的まっしぐら的なとこがあるってっていうか。確かにそれでなにか出来たらやり遂げたー充実~って時もあるけど…なんかそこにはコレ好きアレ嫌いの微妙さがちょっと消し飛んでるかもって思います。好きですか?って質問がでてこれるのがワカラナイ世界かもっておもったし…ホントはわかってるふりなしで…みんなセンサーめいいっぱい好きだ嫌いだいえるだけでもすごくのびのびし(実際はかなり刺激的状況に…なっちまうかもですが)…楽しいなぁっておもうかもしれないなとおもいます。なんだか…18歳ぐらいで家を出て…まだ今みたいになんでもなかったころ(今は…なにか…わかる人生驀進しようとしてるとおもいます)友達とあれこれ好き嫌を言い合ってもなんでもなかったころ(多分お互い分かってないからへ~って感じだったのだと思います)夜…楽しかったよなぁって思いだしてます 。 なんしぃ より: 2014/02/19 18:16 ふしともで以前読みました、アンテナの先生が電波がなぜ飛ぶのかわからないのだと答えたお話はとても感動しました。わからないことをわからないという人はとても信頼できると思います。日常でわからないことをわかったようにふるまうことはとても多いです。でもとてもつらいと感じています どせい より: 2014/02/19 23:25 ワカル人生は、わかったことを積み上げていって、積み上げた高さを競っているのかもしれないです。ですが、それまで積み上げたことと、次に使えることとは、・・関係なかったと思います。もし自分が原因であるならば、積上げるのは効果的なのかもしれない ですが、自分が結果であるならば、積上げという概念自体、成り立たたなくなると思います。ワカルことをいくら積上げても、次がワカラナイことには変わりないです。もう好むと好まざるとに限らず、ワカラナイ人生のかもしれないと思うと、もうワカラナイを受け入れざるを得ないのではないかと思います・・。 みっく より: 2014/02/20 14:03 ワカルことはいいこと、ワカラナイのはだめみたいに思ってたなと思います。ワカル人生を目指すと、分からないことだらけの人生では、ワカッタフリをするしかなくなるみたいに思います。ワカッタフリしてしまうと、そこで終わってしまう感じがします。私たちは何もわかっていないことも、人生積み上げてどうするよ・・というのも、フシケンにきてから思うようになったことです。うまくかけないけど、ワカラナイってすごいと思います。 まりん より: 2014/02/20 16:34 ワカラナイからドキドキするし、もっともっと知りたくなります。ワカルことをいくら積み上げても、それ以外はワカラナイことばかりです。ワカラナイ世界はめちゃくちゃスケールが大きくて、ドキドキの連続です。それなのに、いつのまにかワカッタ気になってしまうのは、自分のことしか見えてないからだなって思います。とってもちっちゃい世界です。それなのにワカル人生だと人に教えたくなって上下関係も出てきそうです。ワカラナイ人生はみんな同じで水平関係って感じがします。ワカラナイ人生の方がずっと軽やかで楽しそうです。 桃有 より: 2014/02/23 14:09 時空からするとワカッタことはとってもちっさいことなのかもしれないと思いました。ワカっていないことは、自分で選んだものじゃなく向こうから来るものなのかもしれないと思いました。なにがくるかワカラナイから、ワカラナイ人生が続くのかもしれないと思いました。アカラナイ人生は自分の予想を超えてくるからすごく好奇心が刺激されそうだなと思いました。
ワカラナイ人生の方が楽しいです。ワカル人生はどんどん閉じて行く感じがします。ワカラナイ人生は開いたままです。ワカッテいるふりをしてどんどん積み上げて行っても虚しいです。そうやって頑張ったところで、ワカラナイ事実は変わらないです。
ワカラナイ人生の方が好きです。憧れているのかもしれないし、ワカラナイです。色々ワカラナイです。
人生…なんかもうこのところ人生が一杯一杯で(私のキャパはいつもだいたいすごーく小さいです)…ちょっと頭が飛んでしまいました。…ワカル人生、ワカラナイ人生ってカタカナに受けてて…自分の人生どっちかなぁっておもうんですが…ワカル!はなんか…デキる数学とかモテる技術とか…なにかなんかそういうのの仲間みたいだなっておもいます。好きというより…なんか実用で目的まっしぐら的なとこがあるってっていうか。確かにそれでなにか出来たらやり遂げたー充実~って時もあるけど…なんかそこにはコレ好きアレ嫌いの微妙さがちょっと消し飛んでるかもって思います。好きですか?って質問がでてこれるのがワカラナイ世界かもっておもったし…ホントはわかってるふりなしで…みんなセンサーめいいっぱい好きだ嫌いだいえるだけでもすごくのびのびし(実際はかなり刺激的状況に…なっちまうかもですが)…楽しいなぁっておもうかもしれないなとおもいます。なんだか…18歳ぐらいで家を出て…まだ今みたいになんでもなかったころ(今は…なにか…わかる人生驀進しようとしてるとおもいます)友達とあれこれ好き嫌を言い合ってもなんでもなかったころ(多分お互い分かってないからへ~って感じだったのだと思います)夜…楽しかったよなぁって思いだしてます 。
ふしともで以前読みました、アンテナの先生が電波がなぜ飛ぶのかわからないのだと答えたお話はとても感動しました。わからないことをわからないという人はとても信頼できると思います。日常でわからないことをわかったようにふるまうことはとても多いです。でもとてもつらいと感じています
ワカル人生は、わかったことを積み上げていって、積み上げた高さを競っているのかもしれないです。ですが、それまで積み上げたことと、次に使えることとは、・・関係なかったと思います。もし自分が原因であるならば、積上げるのは効果的なのかもしれない
ですが、自分が結果であるならば、積上げという概念自体、成り立たたなくなると思います。ワカルことをいくら積上げても、次がワカラナイことには変わりないです。もう好むと好まざるとに限らず、ワカラナイ人生のかもしれないと思うと、もうワカラナイを受け入れざるを得ないのではないかと思います・・。
ワカルことはいいこと、ワカラナイのはだめみたいに思ってたなと思います。ワカル人生を目指すと、分からないことだらけの人生では、ワカッタフリをするしかなくなるみたいに思います。ワカッタフリしてしまうと、そこで終わってしまう感じがします。私たちは何もわかっていないことも、人生積み上げてどうするよ・・というのも、フシケンにきてから思うようになったことです。うまくかけないけど、ワカラナイってすごいと思います。
ワカラナイからドキドキするし、もっともっと知りたくなります。ワカルことをいくら積み上げても、それ以外はワカラナイことばかりです。ワカラナイ世界はめちゃくちゃスケールが大きくて、ドキドキの連続です。それなのに、いつのまにかワカッタ気になってしまうのは、自分のことしか見えてないからだなって思います。とってもちっちゃい世界です。それなのにワカル人生だと人に教えたくなって上下関係も出てきそうです。ワカラナイ人生はみんな同じで水平関係って感じがします。ワカラナイ人生の方がずっと軽やかで楽しそうです。
時空からするとワカッタことはとってもちっさいことなのかもしれないと思いました。ワカっていないことは、自分で選んだものじゃなく向こうから来るものなのかもしれないと思いました。なにがくるかワカラナイから、ワカラナイ人生が続くのかもしれないと思いました。アカラナイ人生は自分の予想を超えてくるからすごく好奇心が刺激されそうだなと思いました。