映画「生まれ変わりの村」主題歌 曲先でも詞先でもなく

2014/07/09 8:31 AM

  
 作曲を始めました。
「曲先」は運命的だという理由で批判していましたが、少し撤回します。
 詞を意識しないで「生まれ変わりの村」の雰囲気を意識するようにしました。
 そうして浮かんだメロディを詩に合わせてみます。
 つまり両方が「原因」となる感じです。
 絵を描くとき構図は歌詞に当たり、色彩は曲のイメージがありますが、どちらか一方を優先しないほうがいいです。
 これを人間に当てはめれば、意識と無意識のどちらか一方を優先しない感じです。
 なんか時空解明のヒントになりそうです(笑)


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コメント

  1. まりん より:

    詞先で、作曲を始められてからの発見が面白いです。作詞も作曲も大元は「生まれ変わりの村」です。それを言葉にして問いかけるような歌詞を作られてからも、出来上がった歌詞にとらわれてないのがすごいと思いました。生まれ変わりの村の雰囲気を意識して浮かんできたメロディを詞に合わせてみながら作曲されてるのは、とても面白いです。詞も曲も原因で、両方が双方向で刺激し合ってるみたいです。
    絵画の例がとてもわかりやすいです。構図と色彩の両方から絵を描いていくときも、それぞれが影響し合ってる感じです。意識と無意識に当てはめたら、今までは無意識が原因のように考えてきたけれど、主題歌の詞と曲を作る中で、どちらかではなくどちらも影響し合って、まるで両方が原因のような発見がすごいです。

  2. 和佳 より:

    生まれ変わりの村の雰囲気を意識してメロディを作ってから詞を合わせてみてるんだなとおもいました。絵でいったら構造を優先するのでもなく色彩を優先するのでもなく…両方を原因としているかんじなんだなと思いました。…絵を書いてる時のことをおもいだしてるんですが…生まれ変わりの村を描くのに…構図を意識してそこに色をぬってくというのでもなく…でてきた色彩から構図を考えるというのでもなく…構図はあるけど…背景になる色彩の組み合わせからエッセンスを抽出したり………何か目が切り替わりながら見てなにかを多角的に検出してるみたいで…チカチカしてきました。そして構図の方からも応答があるようで…なんだかとても生命的に感じました

  3. なんしぃ より:

    絵を描くとき、構図というのは設計とか情報を感じました。色彩は色をつけることで、構図だけだと色がない感じがして、色だけだと構図がないから何を描いてあるか理解できない感じがしました。相手に伝わるときに、構図も色彩もどちらも必要である感じがしました。人間も無意識と意識と両方が必要である感じがしました

  4. こはな より:

    どちらも「生まれ変わりの村」を表現していて、どちらも、どちらの原因にもなって、影響しあって生まれる歌なのかもしれないと思いました。

  5. 小町 より:

    作曲の時、歌詞よりも「生まれ変わりの村」のイメージを優先もしていると思います。歌詞と作曲の両方を出し合っているのは意識と無意識で生きている私たちのようだと思います。考えるのは意識的な時も無意識的な時もあるような感じで混沌としています。時空も無意識から意識を生み出しているけど、意識が考えること感じることを狭めていない気がします。作曲をしながら時空に問いかけているなんて、素敵だなと思います。

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