昨日は、映画「生まれ変わりの村」は私の企画ではなく、降ってわいたと書きました。
でも原因はあります。
映画「スープ」の観客動員数が予定よりも少し少なかったのです。
それを埋めようという動きが映画会社の側から起こったのです。
最初はラストだけ変えようと言う話だったのが、次第に、全部変えよう・・になりました。
ってことは、ほぼ新しい映画じゃん(笑)。
それでドキュメンタリーにすることになりました。
私の書いた「生まれ変わりの村」という本はドキュメンタリーなので、やっと本来の姿にかえったのです。
もしも「スープ」がヒットしていれば、これはありませんでした。
私にとってマイナスなことは、非常に少ないです。
映画「生まれ変わりの村」がふってわいた原因は「スープ」の観客動員数が予定よりも少し少なかったからで、その結果が映画会社さんを動かしたのだと思いました。最初ラストだけ変えようとするお話が次第に全部変えようと変化してほぼ新しい映画になって、もりけんさんに監修のお話がきたのだと思いました。その原因も経緯も、誰かが主体的にはじめたことではなく、その前の出来事があってはじめて出てきたことばかりだと感じました。もしもその過程で起こった出来事を1つでも否定していたら出てこなかったことだと思います。映画「スープ」も外側からきたもので、それが制作される過程も、映画公開のときも、これ以上ないほどできる限りのことをされて、いま映画「生まれ変わりの村」が降ってわいたのだと思います。降ってわいたのは、そのときだけじゃなくそれまでの流れ全体に深く濃く関わっていたからではないかと思います。原作本のタイトルそのものとしてドキュメンタリー映画「生まれ変わりの村」が出てきたお話は、「スープ」のヒットが無かったから。。。そう言えるのは「スープ」を売り出すときに時間も労力もコストも惜しまなかったもりけんさんだからだと思いました。映画「生まれ変わりの村」として本来の姿にかえったのは、周りで起こる出来事を「私にとってマイナスなことは、非常に少ない」と思ってるだけでなくそれを生きてるから出てきた深い言葉だと感じました。
マイナスを少ないと感じるのがもりけんさんの人生に当てはまるって、読んでいて、私はマイナスはマイナスだと長く覚えてしまっていると思ってきます。映画「スープ」の時も、もりけんさんは大変だったと思います。それでも映画のことをそれだけで終わらせなかったと思います。映画会社が今回の件で最初は映画「スープ」だけを視野にして最後だけってなっていた部分をシフトして原作に近い形に作る企画にしたのは、驚きだったと思います。本当にもりけんさんの意図は最後の部分のバージョンアップだったのに、それをまるっきりドキュメンタリーにしてきたのは、マイナスを大きく超えてしまっています。ドキュメンタリーにすることでフィクションでは伝わりにくい部分も伝えられると思うし、何より原作通りの映画になると思います。映画「スープ」があることで、相乗効果も出てくるような気がします。マイナスはマイナスのままでないというのを感じてしまいます。とても嬉しくなってきます。
次第に全部変えようということが外側から来たように感じました。自分から何も変えようとしていないと感じました。マイナスを埋めるのは自分ではないのかもしれないと感じました、マイナスなことがマイナスではないような感じがしてきました
時が経過した今は、映画「生まれ変わりの村」の誕生を知っていますが、その時はそんな未来があることも知らなくって、けれど、もりけんさんは「スープ」がヒットしなかったことも、マイナスとは思っていなかった感じがしました。マイナスなことは少ない・・ほんとにそうなのだと思います。