映画「ワンネス」 差を知ることが愛の始まり

2013/10/09 7:50 AM

 
 スピリチュアル系の雑誌が愛について特集していました。
 記事を拾い読みしたフレーズを列挙します。
●「愛を言葉にした瞬間にエゴになります。愛は体験できるもので言葉にはできません」
●「愛が欲しいなら愛を与えよ」
●「最高の段階になるともはや愛は感情ではありません。行為でもありません。純粋な意識です。完全に自我が無い状態です」
●「純粋な無条件の愛は至高の悟りの境地です」
 以上です。
 なぜここに出したかというと差違を知ってもらうためです。
 愛は人それぞれで良いと思います。
 ですがエデンの園を出たからには、差を知ることが愛の始まりだと思うからです。


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コメント

  1. なんしぃ より:

    自分と異なる人はとても愛しいです、自分と異なるからこそその存在を知りたいと思います。そしてそこに差異があることで自分を知ることになっているように感じます。自分を知るには差異があるすべての他人という存在があってこそ自分というものが存在できているように感じました。すべての自分とことなるすべての存在のお陰さまで自分が実在できていると自分で認識できるような感じを受けて、自分と差異があるすべての存在が必要だと感じました

  2. まるこ より:

    4つのフレーズを読ませていただいて、まず思ったのが「とても分かりにくい」です。「悟り」という言葉が出てきますが、まるで愛は悟った人にしか分からないんだよと言われているように感じるくらい、非常に分かりにくいと思いました。そして上智の「人間学」で考察された愛とは、まるで別物の愛だと思いました。でも、ふと気になって、愛の報告を始めてくださったときに、自分が愛について何を書いたのかを振り返ってみました。自分の書き込みにはこうありました。「愛とは誰にも気づかれずにそこにあるもの」これってどちらかと言えば、この4つのフレーズに近いです。愛の報告を読ませていただいた前と後とでの自分の差異を感じました。愛は人それぞれだと思います。でも一連の書き込みを読ませていただいて「自分の中に息づいているものを与える」という愛が自分にはいいなと思いました。この書き込みのタイトル、「差を知ることが愛の始まり」も、あるがままの肯定が感じられて、ほんとうに良い言葉だと思いました。

  3. 浅葱色の苔 より:

    列挙された文言を読むと、愛とはなんであるのか、どのようなものなのか、といった定義が既に周知されていることが前提として語られていることに気づかされます。それにもかかわらず「愛とは体験できるもので言葉にはできません」と逃げを打っています。私が言葉にできないと言うときは、その時に感じていることを表す適切な言葉や表現がでてこないとき、自分でも自分が感じていることが何であるのか理解できないときが殆どです。現在、愛を言葉で伝えられる人は少ないのかもしれません。一連の講義を受けて、愛という既成概念の檻が不確定要素でできていながら、自分の中で確固たる形をもっていることに気づいたときは驚きました。自分なりに作り上げた愛に対するイメージを一旦壊す作業を行わなければ、講義の内容がスムースに入ってこないことにも気がつきました。今回の、一連の愛についての講義を受けることができたのは幸いです。

  4. みっく より:

    スピ系の雑誌に書いてあった愛は、上智の神父さんが教えてくれた愛とは全然違うと感じました。これだと誰でもができること・・ではないような感じがします。でも私も、ここまででなくても、もりけんさんから、上智の愛の授業の話を聞くまで、愛を特別扱いしていたように思います。スピ系の言う愛、自分が今まで思っていた愛、上智の神父さんが教えてくれた愛・・その差異を知るところから始まるのだと思います。今まで愛についてこんなに考えたことなかったです。今、ここから始まった気がします。

  5. まりん より:

    愛についてのフレーズは、人間学の愛とは違います。私はこれまで愛について、ちゃんと考察したこともなかったし、人それぞれだと思ってきました。さらに愛は特別だとも思ってきました。でも、人間学での愛に出会って、技術や個や孤独や私は誰?という問いと深く結びついてる愛を知りました。それは、生まれながら誰にでも当てはまる愛です。そんな根源的な愛について知ることができて、目からウロコが落ちました。これまで考えてた愛との差異を知って、はじめて気づけたことです。差異を知ることって、メチャメチャすごいことかもしれないと思います。私たち1人1人の差異が肯定されてるからです。

  6. 桃有 より:

    なんとなく一度は聞いたことがあるような愛の内容だなと思います。今読んでもわからないけど、わかったつもりになって「愛」ってそういうもんなのだと思ってしまっていたと思います。上智の教科書の愛とはとても違っているなと思います。とっても崇高な感じの愛だなと思います。考え方は人それぞれなので、否定されるものではなく、差異を知ることが愛なのだなと思いました。でも自分は人間学の愛にガーンと来ました。自分の中に息づくものを与えるのが「愛」にとって感動しています。

  7. 小町 より:

    スピリチュアルに書かれている愛はものすごく希少な気高い愛なんだと思います。本当に一握りの人しか体感できない選ばれた愛になっています。そんな愛はほとんど何も満たしてくれないし、見ているしかないものだと思います。同じ人しかいない感じです。愛が感じられないって、無いのと一緒になっていると思います。それより、差を知ることで愛が始まるにすごくホッとします。雲の上の愛なんて、ほっておいて、手を伸ばして差を感じていたいなと思います。それが愛の始まりって、とても素敵だし好きにも嫌いにもなれると思います。

  8. こはな より:

    ここに列挙されたフレーズはどれも愛の定義はバラバラです。だけど教科書の著者さんの愛の定義は、愛は表現を与えることでした。だからこのバラバラなフレーズも著者さんは愛と呼ぶのだと思います。その事がすごいと思いました。差を知ること・・4つのフレーズはそれぞれ愛の定義を言っていて、著者さんの言う愛の定義とは違います。でも私は、自分で愛の定義を持ってなかったので、そこにも差があったのだと思いました。

  9. koil より:

    上智での愛とスピ系の愛の差は大きいと思いました。
    上智の愛は、誰でもができる愛で
    スピ系の愛は、選ばれた人のみができる愛
    上智での愛を教えていただけなければ
    愛の差を知ることは無かったです。
    やっと愛のスタートラインに立てたのかなと思いました。

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