映画「和」 問いが大事 2014/02/05 8:03 AM この映画には答えがありません。 なぜなら答えがあれば、そっちに誘導する映画になってしまいます。 この映画を見ると、まるであなたがインタビューされているような雰囲気になると思います。 でもその問いが大事だと思います。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「和」 9割の意味 映画「和」 普通 » コメント こはな より: 2014/02/05 13:08 もりけんさんの映画から受けとった問いから、私の中や、映画を見たひとりひとりの中に、何かが生まれるのではないかとそう思いました。なのでもりけんさんの映画は、新しいものを沢山生む映画かもしれないと思いました。 まるこ より: 2014/02/05 15:32 いままで映画を見てきて、その映画が「答え」なのか「問い」なのかという視点を持ったことがありません。でも振り返ってみたらすべてが「答え」だと感じます。業界の事は何も知りませんが想像はできます。映画監督には作る前から自分の「答え」があって、それを表現するために映画を作るのだと思います。観客はその「答え」を見て終わりです。映画「和」の答えは映画側には無いのだと思います。答えは映画の外側にある。つまり「和」を見る全ての観客それぞれに答えがあるのだと思います。問われた観客は自らが問わなければ答えを得られないです。「問い」の映画である「和」は映画の外側に問いの連鎖を生みそうです。それは見る観客の一人一人が今まで持ったことのない新しい視点を生む可能性を秘めていると感じます。 えり より: 2014/02/05 17:46 今日会社で研修があり、ビデオを見ました。マニュアルとかテキストとかあるんですが、もやもやしました。答が記載されていて、でもいろんな答があり、書いてもまた新たな問題が出てまたルールを作るみたいな感じだなあと思いました。会社だからルール上仕方がないと思いますが、原因を見たような気がしました。 なんしぃ より: 2014/02/05 18:14 問いの内容が個に根ざしたものであれば、当てはまる人とそうでない人が出てしまうように思いました。もしも、問いが根源的ですべての大元に対しての問いだとしたら、どんな人にも当てまり、問いの連鎖反応がおこるかもしれないと感じました。国境も年齢も民族の違いも越えて、問いが連鎖反応して、地球全体の問いになるかもしれないと感じました。その問いは宇宙人も持っている可能性があるかもしれないと感じました。すべての存在の根源的問い、下位の問いをもりけんさんはずっと問い続けていると感じました。誰もが問われたい問いであるように感じました どせい より: 2014/02/05 23:24 森田さんは、「問い」を大切にしていますが、問いを持つことで、着地してしまうことなく、視点もずっと外側を向いていられるのかもしれないです。 逆に、自分も含めて多くの人は、「答え」を求めているのかもしれないです。例えば、このHPに来ることも、本を読むことも、映画を見ることも・・なんらかの「答え」を求めているとも言い換えられかもしれないです。ですが、「和」は、答えがあるどころか、まるで観客自身がインタビューで問われているような雰囲気の映画なのだと思います。映画を見ることで、逆に浮遊してしまうと思います。ですが、その問いが大事なのだと思います。 小町 より: 2014/02/05 23:35 自分の中の問いを映画を見ていると思いだしてくると思います。宇宙人のこと考えていたなとか、自分が話したいことがあったとか、私だって、言いたいとかいろいろな気持ちがわき起こってきそうです。問いは問われると余計に出てくると思います。インタビューに自分が応えていると思います。映画を漠然と見ているはずが自分として考える映画なんて、不思議な感覚になってきます。「和」は静かなさざ波を作ってくれると思います。 まりん より: 2014/02/06 08:09 問いがあってはじめて答えを考えようとします。答えが先にあれば問いは出てこないです。そう思うと、問いはすべての答えを生み出すもとになるんだなぁって思います。答えのない映画そのものが問いを感じます。その映画を作ったもりけんさんの問いを感じられるのがとても嬉しいです。今こうしてるこの世界だってわからないことばかりです。それは神の問いを感じてるのかもしれないなぁって思いました。 みっく より: 2014/02/06 14:17 問いと答え・・とセットに思ってきたし、どちらかといえば答えに焦点を当ててるところがあったと思います。でも問いの方が大事なのだと、もりけんさんを知ってから思うようになりました。今回の映画「和」もまさに問いが前面に出ている映画で答えがないのだと思います。答えがないから自分で考えることになるんだと思います。見る人が参加できる映画なんだと思います。答えは時間や時代と共に色あせることがあっても、問いは色あせないなと思います。今みたら今の自分が、また何年か先に見たら何年か先の自分がどう考えるのか・・また他の人ならどうなのか・・問いは時代も人も選ばないと思いました。 桃有 より: 2014/02/06 22:30 問題が難しくて解けないからと言って良く考えもしないで答えを見たりするとその時は答えがわかってスッキリするけど、結局すぐに忘れてしまって、どんな問題が出たのかすら忘れてしまったりしました。答えがなかなか出ない問いは、ずっと考え続けることになるし問題を考えている間に別の閃きもあったりして、自分にもとても身になる感じがしました。映画「和」では答えがないのだと思いました。一人一人問われて考えることになるのだと思いました。答えがないから映画を観てそれで終わりではないのだと思いました。問いはその人にずっと投げかけられ、考えさせられることになるのだなと思いました。
もりけんさんの映画から受けとった問いから、私の中や、映画を見たひとりひとりの中に、何かが生まれるのではないかとそう思いました。なのでもりけんさんの映画は、新しいものを沢山生む映画かもしれないと思いました。
いままで映画を見てきて、その映画が「答え」なのか「問い」なのかという視点を持ったことがありません。でも振り返ってみたらすべてが「答え」だと感じます。業界の事は何も知りませんが想像はできます。映画監督には作る前から自分の「答え」があって、それを表現するために映画を作るのだと思います。観客はその「答え」を見て終わりです。映画「和」の答えは映画側には無いのだと思います。答えは映画の外側にある。つまり「和」を見る全ての観客それぞれに答えがあるのだと思います。問われた観客は自らが問わなければ答えを得られないです。「問い」の映画である「和」は映画の外側に問いの連鎖を生みそうです。それは見る観客の一人一人が今まで持ったことのない新しい視点を生む可能性を秘めていると感じます。
今日会社で研修があり、ビデオを見ました。マニュアルとかテキストとかあるんですが、もやもやしました。答が記載されていて、でもいろんな答があり、書いてもまた新たな問題が出てまたルールを作るみたいな感じだなあと思いました。会社だからルール上仕方がないと思いますが、原因を見たような気がしました。
問いの内容が個に根ざしたものであれば、当てはまる人とそうでない人が出てしまうように思いました。もしも、問いが根源的ですべての大元に対しての問いだとしたら、どんな人にも当てまり、問いの連鎖反応がおこるかもしれないと感じました。国境も年齢も民族の違いも越えて、問いが連鎖反応して、地球全体の問いになるかもしれないと感じました。その問いは宇宙人も持っている可能性があるかもしれないと感じました。すべての存在の根源的問い、下位の問いをもりけんさんはずっと問い続けていると感じました。誰もが問われたい問いであるように感じました
森田さんは、「問い」を大切にしていますが、問いを持つことで、着地してしまうことなく、視点もずっと外側を向いていられるのかもしれないです。
逆に、自分も含めて多くの人は、「答え」を求めているのかもしれないです。例えば、このHPに来ることも、本を読むことも、映画を見ることも・・なんらかの「答え」を求めているとも言い換えられかもしれないです。ですが、「和」は、答えがあるどころか、まるで観客自身がインタビューで問われているような雰囲気の映画なのだと思います。映画を見ることで、逆に浮遊してしまうと思います。ですが、その問いが大事なのだと思います。
自分の中の問いを映画を見ていると思いだしてくると思います。宇宙人のこと考えていたなとか、自分が話したいことがあったとか、私だって、言いたいとかいろいろな気持ちがわき起こってきそうです。問いは問われると余計に出てくると思います。インタビューに自分が応えていると思います。映画を漠然と見ているはずが自分として考える映画なんて、不思議な感覚になってきます。「和」は静かなさざ波を作ってくれると思います。
問いがあってはじめて答えを考えようとします。答えが先にあれば問いは出てこないです。そう思うと、問いはすべての答えを生み出すもとになるんだなぁって思います。答えのない映画そのものが問いを感じます。その映画を作ったもりけんさんの問いを感じられるのがとても嬉しいです。今こうしてるこの世界だってわからないことばかりです。それは神の問いを感じてるのかもしれないなぁって思いました。
問いと答え・・とセットに思ってきたし、どちらかといえば答えに焦点を当ててるところがあったと思います。でも問いの方が大事なのだと、もりけんさんを知ってから思うようになりました。今回の映画「和」もまさに問いが前面に出ている映画で答えがないのだと思います。答えがないから自分で考えることになるんだと思います。見る人が参加できる映画なんだと思います。答えは時間や時代と共に色あせることがあっても、問いは色あせないなと思います。今みたら今の自分が、また何年か先に見たら何年か先の自分がどう考えるのか・・また他の人ならどうなのか・・問いは時代も人も選ばないと思いました。
問題が難しくて解けないからと言って良く考えもしないで答えを見たりするとその時は答えがわかってスッキリするけど、結局すぐに忘れてしまって、どんな問題が出たのかすら忘れてしまったりしました。答えがなかなか出ない問いは、ずっと考え続けることになるし問題を考えている間に別の閃きもあったりして、自分にもとても身になる感じがしました。映画「和」では答えがないのだと思いました。一人一人問われて考えることになるのだと思いました。答えがないから映画を観てそれで終わりではないのだと思いました。問いはその人にずっと投げかけられ、考えさせられることになるのだなと思いました。