映画のシーンです。
簡単なアンテナでいいと言ったのに、こんなに立派なのを用意してくれました。
つまり映画のためにわざわざ作ってくれたのです。
売り物ではないけれど、性能が良いアンテナのはずです。
ところで40年前、私がアンテナ研究室に入ったとき、先生に聞きました。
「電波はどうして飛ぶのですか?」
言った瞬間、電気電子工学科で大学四年にもなってこんな質問をすれば怒られるかもしれないと思いました。
実は私は、こういうことを聞きたかったのです。
「宇宙の彼方に人間は行ったことがありません。なのになぜ同じ方程式が通用すると思っているのでしょう? これは一種の信仰ではないですか?」
これを端折って言ってしまったのです。
先生はゆっくりコーヒーカップを置くと言いました。
「森田君、それは分からないのだよ」
「えーーー」
質問の内容を端折って良かったと思いました。だってすごい答えを聞けたからです。
八木博士の下で学び、アンテナの権威とさえ言われている先生はもう一度言いました。
「電波がなぜ飛ぶか、本当の理由は分かっていないのだよ」
科学者は不思議現象をオカルト呼ばわりして批判する時が多いです。
けれど科学そのものも、深いところでは、理由が分からない世界にいるのです。
先生のご実家の近くには教会がありませんでした。
大地主だった先生のご実家は自分の敷地にキリスト教の教会をたててあげました。自分たちは仏教信者なのにです。
それが縁で先生は上智の教授になりました。
その教会に通っていた坊やがその後上智の学長になったからです。
電波がなくては現代社会は成り立ちません。
けれど根柢の部分で分かっていないのに、使っているのです。
アンテナの権威と言われるほどの先生なのに、先生ももりけんさんと同じく、分からないことを分かったつもりにしたりしない方だったのだと思います。それをそのまま話してくださったのだと思います。そんな先生が問いを持ち続けるもりけんさんと出会われたことがすごいです。電波にメチャクチャ世話になってる今の生活ですが、なぜ電波が飛ぶのか誰もわかっていない世界にいるのだと思います。
先生はロケのために大きなアンテナを作ってくださったのだと思います。先生にとって、なぜ電波は飛ぶのかという質問をした生徒はもりけんさんが最初で最後ではないかと思います。問いを共有した教え子と映画に出演される先生なのだと思います。先生ともりけんさんとの上智での出会いをさかのぼれば、先生のご実家が、宗教の枠を超えて、キリスト教の教会を敷地内に建てられたことに始まるのだと思います。いくらお金と土地があっても、当時自分の敷地内に、教会を建てるというのはなかなかできないことだったのではないかと思います。とても外側に開けたご実家だったのだと思います。
「科学」と「オカルト」の境界が、あいまいになってきます。アンテナの権威と呼ばれる佐藤先生ですら、電波がなぜ飛ぶのか分かっていないというのは、まだ人類は、その根底の部分を、わかっていないのだと思います。
お話を読んでいて、ニュートンが錬金術の実験を続けられたことや、もりけんさんが生まれ変わりの村の調査を続けてきたことが思い浮かびました・・。・・本当に根源に迫っている人にとっては、その境は、無いのではないかと思います。境を作って排斥してしまっているのは、私たちの「意識」ではないかと思います。・・「意識」の垣根を取れた人こそが、根底に迫るような大発見ができるのかもしれないです。
また、先生のこのお話を聞けたというのが、質問を端折っていってしまったことから、偶然に導けたというエピソードも、すごいと思います。
携帯電話もメールも、先生や博士のお陰で私は今使用できています。沢山の楽しみがあって今の生活にはなくてはならないです。先生が作られたアンテナは映画のためだけ、キリスト教の教会も信者さんの為だけだと思います。先生ともりけんさんは何か似ていると感じます。発見、研究されている第一人者で、なぜか優しいと感じます。根底では「ワカラナイ」があるから批判的ではなく誰にも優しいのかもしれないと思いました。
先生との縁は問いからも来ていたんだと思います。映画のためにすごく本格的なアンテナを作ってしまう人柄に、上智との縁があるはずなんだと思いました。仏教徒なのにキリスト教の信者が自分の村にいるからと、敷地の中に教会を建ててしまう家が本当にすごいです。学生の質問に「電波がなぜ飛ぶか、わからない」と言える研究者でもあったと思います。その先生とアンテナで話す場ができているって、「和」の撮影がすごいとじっと見ています。科学の根柢にはもっとたくさんのワカラナイがあるのに、科学が万能だという見方もしてきているんだと思います。先生も、もりけんさんもわからないから研究していると思います。オカルトがずっと多いと思います。電波は今では日常生活に無くてはならなくなっています。もりけんさんが最初に先生にしようとした問いをずっと持ち続けていると思います。本当に宇宙の端までそのルールでいいのかに、問いを持つ姿勢が違っています。
科学や方程式も、一種の信仰ではないか?という強烈な問いにガツンときました。ワカラナイのに、分かった気になって生活してます。本質はまだ何もワカッテない不思議現象の世界に私は生きてるんだと思います。どんどん新しい技術が開発され便利になっていくけれど、なぜそうなるかの仕組みはワカラナイままなんだと思います。先生も森田君も上智大学からの縁が今もずっと続いてて、根源的な問いもずっと変わってないです。そんな先生ももりけんさんも縁をとても大事にされる方たちで、先生のご実家もそうだなって思います。熱いものが伝わってきました。
背景の空が青くてとても綺麗です。お二人はアンテナを持って外で撮影されたのだなと思いました。アンテナは私たちの生活になくてはならないものだけど、外にあるし高いところにあるのでじっくり見ることもなかったと思いました。「和」でアンテナの権威の先生のお話が日本から発信されるのがとても素晴らしいことだと思いました。アンテナの先生は教え子である森田監督の為にわざわざ性能の良い立派なアンテナを作ってくださったのだと思いました。とても太っ腹だし、人情に厚い素敵な方なのだなと思いました。本当に素敵なご縁だなと思いました。私たちは「なぜ」ということを考えることなく過ごしてきていることがとても多いのだと思いました。科学も本当のところではワカラナイ世界にいるのだなと思いました。「なぜ」と問うことがとてもすごいことなのだということを思いました。
とても立派なアンテナです。先生の監督と映画に対するお気持ちが伝わってきます。先生のご実家がキリスト教の教会を建てられていなければ、こうやって先生と監督が映画のワンシーンに出られることもなかったのだと思います。ご縁という名の無数の繋がりが2本のアンテナを手に立たれているお二人のシーンにも表現されているのだと思いました。端折る前のもともとの質問もすごいです。この質問の視点から考えると、私たちの生活の多くは一種の信仰なんじゃないかと思えてきます。根本では何も分からないのに「これが真実に違いない」という思い込みで思考し行動していることが多いのではないかと思うからです。私たちの感情も「こうに違いない」という思い込みの壁に思考から発生する電波を当てて返ってくる反射の波が生んでいることが多いような気がします。普通は科学と聞けば「分かっている世界」をイメージすると思います。でもどんなに明解な科学情報もそれをさらに深く掘れば「分からない世界」に通じている。「分かっている世界」は「分からない世界」という土台の上に成り立っているのだと思います。電波という私たちの生活に不可欠でとても身近な存在も、その正体は根本的には分からないのだと思います。私たちはそんな分からない存在の恩恵を受けて、分からない世界の中に生きているのだと思います。
先生は映画のためにわざわざアンテナを作ってくれたのだと思います。映画に参加できることの嬉しさとか気合とかが感じられました。先生と監督が持っているのが、指向性のある八木アンテナと無指向性のスーパーターンスタイルアンテナなのだなと思います。
もりけんさんの言葉にしなかった問いは私には考えもしない問いでした。科学で証明されたものは宇宙の彼方でも通用するものとして思いこんでいました。電波がどうして飛ぶのかという問いも、電波の権威である先生が電波が飛ぶ本当の理由はわからないとおっしゃったことも凄いです。科学は揺らがないものとして普段思っていますが、利用するための法則が分かっているだけなのだなと思いました。科学も深いところでは分かっていないことの上にあるのだと思いました。足元が揺らぐ感じです。もりけんさんと先生との会話は核心を突く問いであり答えだと思いました。
先生の実家は仏教徒なのに敷地内に教会を建ててあげたのだと思います。器の大きさを感じます。なかなか出来ることではないと思います。それが縁で先生は上智の教授になったのだと思います。いつの日か縁も科学で証明できるような気がしました。不思議現象と科学の境というのが何だか微妙な感じがしてよく分からなくなってきました。
何回も読み返しましたが、本当に聞きたかった文章の端折り方が不思議だなあと思います。でも着地していない聞き方、対立を生まない聞き方たまなあと思いました。すごい端折り方だと思えてなりません。
現代社会が成り立っているところに生まれて、当たり前だと思っていた根源がわからないことで成り立っているのだと思いました。そのことを探求することは、電波の探求と似ている問いがあると感じました