映画「ワンネス」「和」 人間に創造的行為をさせない

2014/05/26 7:25 AM

  
 昨日は、未来はなんらかの形で存在していると書きました。
 私の調査によれば、私たちは未来のデータに包まれています。
 しかし今までは、私たちに影響するのは過去のデータだと思われてきました。
 過去が未来を形成すると信じられてきて、カルマの解消とかが重要事項でした。
 なぜそうではないのでしょう?
 私の仮説ですが、それは人間に創造的行為をさせないためだと思います。
 未来が白紙で、人間に創造的行為をさせたら、運命通りにコトが進まなくなってしまうからです。
 ふーーー、神もすごいことをしていると思います。
「西洋の神」はすぐに怒り狂って人間に罰を与えたりしてきましたが、それどころの話ではありません。
 裁きをしたりカルマを残したりするためには、人間はある程度自由でなければなりません。
 そうではなかったのですから。


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コメント

  1. 小町 より:

    人間は本当に過去ばかり気にしてきたと思います。過去がきちんとできてこそ、未来があると信じてきたと思いました。創造的な行為は人間だけだとも信じてきてしまったと思います。内にこもる行為でもあったから、全然自由になっていないんだと思います。かなり、打ちのめされてきます。運命の存在の大きさがすごいです。神の存在も、もっとすごいです。またレスしたいです。

  2. 和佳 より:

    森田さんの調査によれば 私達は未来のデータに包まれてるんだなとおもいました。なぜ過去のデータではなく未来のデータが重要事項になるか…それは人間に創造的行為をさせないためなという仮説をたてられたんだなっておもいました。…創造するには原理原則がわかってないとけないとおもうけど…今のところ何一つわかってる原理ってないのだなって感じてます。そのままで…仕組みはなぞのまま偶然になにかを発見させたりしてきたみたいだなって感じました。いまのところ人は創造ってまったくできてないし…そうなると裁きもカルマも自由もまったくない状態なのだなって思いました。想像出来てるか出来てないかってものすごい問題だなって感じてます

  3. こはな より:

    ずっと、私たちに影響するのは、過去のデータでした。でも、そう思ってきただけで、ほんとは未来のデータに包まれているのかもしれないのだと思いました。というか、もりけんさんのデータからはそうなのだと思います。私たちは未来のデータに包まれ、自由がない・・神は怒り狂って罰を与える西洋の神なんて目ではないくらい、自由をくれていない・・創造的行為をさせないのだと思います。それは、運命通りにコトをすすめるため・・もりけんさんのデータから思い浮かんだ神は、半端ない神だと思いました。

  4. 小町 より:

    自由にさせないためにカルマも裁きも無い方が運命も遂行しやすいにゾクッときました。神は本当に無駄が無いです。この世界だって、無駄なものはおそらくひとつも無いと思います。自由にさせるほどの運命の余地はあまり無いような気がします。自分のうちにこもればこもるほど、外側を感じる余裕はないままに終わってしまいそうです。でも、カルマが無い、裁きが無いは私を実にホッとさせるものでもありました。その場になって、罪を犯さない人がどれだけいるのか、本当は自信がありません。それを神がしないという方がすごく胸に来ています。

  5. どせい より:

    私たちが、未来のデータに包まれているのか、それとも、過去からの積み上げでいるのか・・とでは、視点がまるで違ってくると思います。
    私も、これまでずっと、過去からの積み上げで、「自分」が成り立っていると思っていました。これが、未来のデータに包まれているとしたら・・・本当にパラダイムが変わるようなインパクトだと思います。また、この考え方に従えば、「自分」すら、外側の未来情報を投影している存在ということになって、「自分」というものについて、内側として見ていた視点が、外側へと転換せざるを得なくなるのではないかと思います・・。神にとっては、「未来情報」というシナリオに添って、演じてくれる役者が必要なのだと思います。

  6. まりん より:

    未来が原因という仮説から、未来は何らかの形で存在しているという仮説がでてきました。それは今こうしてる時も、そうとは気づかないだけで未来のデータにつねに包まれてる状態なのだと思います。神にとって原因(未来)が結果(現在)としてそのまま現実化することが大事で、シナリオ通りにコトが終わった過去はどうでもいいのだと思います。もしも人間に少しでも自由があると運命のシナリオ通りにコトが運ばなくなるから、そうしないためのシステムなのだと思いました。

    世界中のどんな神も、未来は白紙で過去の行為を問題にしてるのではないかと思います。そんな宗教の神を信じない人たちでも未来は白紙か運命があってもある程度自由があると思ってる人たちがほとんどです。私もずっとそう思ってきました。ここで問題提起されてる神はそのどの神とも違います。過去の積み重ねで未来がきまるという常識とも違います。

    なぜそうしたのかという仮説に、ものすごい衝撃を受けました。創造的行為と呼ばれるものはこれまで歴史上でたくさん生み出されてきたんじゃないかと思います。西洋の神だって天地創造からはじまって、創造という行為は賞賛されてきました。けれど、これまでの仮説から考えたとき、神はそんな創造的行為をさせないために未来を存在させたのだと思います。創造的行為すら運命のシナリオ通りで、神にとって何よりも運命通りにコトが進むことが大事であり、そのシナリオ通りに演じてるのが私たちで、そこに賞賛も裁きもカルマもありえないのだと思いました。神の視点からの仮説、ものすごい視点移動で、すごい仮説です。

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