今年の抱負 2014/01/01 8:29 AM あけましておめでとうございます。 さて、次のように聞かれる時があります。 「今やっていることが終わったら、次は何をやるのですか?」 私は答えます。 「何もありません」 はい、僕はずっとこうして生きてきました。 神に恋しているので神の性質を知りたいという問いはありますが、それはビジョンにはなりません。 ビジョンを持てば、問いが薄れてしまいます。 なので今年も抱負はありません。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「ワンネス」 タモリさんの続き 映画「和」 指向性と無指向性 » コメント 小町 より: 2014/01/01 10:50 ビジョンを持てば、問いが薄まるって、確かにそうだと思いました。今年の抱負を持つと自分の行動を限定してしまうと思います。問いも限定してしまうと思います。今やっていることが終わるとまた次を探してしまうのが抱負かもしれません。もりけんさんは問いだけで、神への気持ちを表わしていると思います。成果云々を気にしているとビジョンを持ちたくなると思います。そんな狭い問いでは、神への恋は語れないって、すごくカッコいいです。抱負無しで、限定無しな問いがあるって、半端じゃないと思います 桃有 より: 2014/01/01 10:58 あけましておめでとうございます。今年も「ワンネス」HPにお邪魔できて嬉しいです。もりけんさんは一年中お忙しいですが、次は何をやるのか聞かれても何もないと答えられるのだなと思います。自分で計画したものは何もなくて、神の性質を知りたいという問いがあるだけで、向こうからやってくるの感じなのだなと思いました。でも、いつどんな時でも最善を尽くしているからこそ、やってくるものなのだということを思いました。ビジョンを持つことが大事と言われていたりしますが、ビジョンを持つことで他の大事なことをたくさん捨ててしまっているのかもしれないと思いました。なにより問いを持つことが大事なのだということを感じました。 こはな より: 2014/01/01 14:43 あけましておめでとうございます☆ 恋に落ちたもりけんさんはそれからずっと、神のことを思い続けているのですね。長い恋、永遠の恋・・去年も新年も・・ずっと神のことを知りたいのだと思います。ほんとに素敵なもりけんさんです。 まりん より: 2014/01/01 15:09 明けましておめでとうございます☆何もありませんって、とってもすごい答えです。今までもりけんさんの他に聞いたことないです。神に恋して、神の性質を知りたいという問いを前にして、大晦日も元旦も日常も同じになってしまうのがカッコイイです。恋してる神から何がくるかわからないから、自分のビジョンどころじゃないってバリバリ問いを生きてるもりけんさんは、とっても生き生きしてます☆ まるこ より: 2014/01/01 17:58 あけましておめでとうございます♪今年の抱負を聞かれて「何もない」って答える人はほとんどいないと思います。自分もそんな答えをしたことないです。いつも、何らかの願いや目標があることが前提で「今年の抱負は~~です」と答えてきたと思います。それをビジョンだと意識したことはないです。でもビジョンです。自分でビジョンを設定すれば、それだけ自分を狭めてしまうと思います。本来、全体と繋がっている自分をこうしてわざわざ自分で限定してしまっている。それも無意識のうちにです。アンテナと無線で例えるとそれはわざわざ1年間の周波数を一つに絞ってダイヤルを固定するようなものなのだと思います。本来、向こうからやってくる電波にあわせてその時その時にダイヤルを変化させてキャッチできるものを、ダイヤル固定で逃しているようなものなのだと思います。まだ誰にも「今年の抱負は?」と尋ねられていませんが、今年は自分もダイヤルを固定せずに全方位の電波にオープンにしていきたいと思いました。 みっく より: 2014/01/03 10:46 あけましておめでとうございます。もりけんさんはいつも休むことなく、すごくいろんなことを全力でされてるけど、抱負は何もない・・とずっと今までもそうしてこられたというのが、めっちゃかっこいいなと思います。持っているのは、自分がしたいことではなくて、神を知りたいという問いだけなんだと思います。完全受け身状態で目の前に用意されたことを全力でされてるんだと思います。されてること全てが問いにつながってるんだと思います。 えり より: 2014/01/11 09:22 ビジョンも考えれば目標になるんだなとハッとしました。ビジョンということばの響きがかっこ良く感じられて好きでした。目標とか抱負を持つとそれをめざしてどうしたらいいか考えますが、全方位な問いは持てないなと思いました。でも人に認めてもらったりというような喜びはあると思いました。問いは孤独にさせる性質があると思いますが、はかりしれない魅力がその向こうにあると思いました。わたしももりけんさんの本に出会った時から予定を入れなくなりました。抱負も持たないように意識していきます(^^) なんしぃ より: 2014/01/15 19:01 ビジョンを持ってしまうと、問いがビジョンを達成させるためだけに収束してしまう感じがしてきました。ビジョンというのは今の否定であり、こうなって欲しいという願望でもあるように感じます。そのような否定からくる願望の問いは、すべてを認める神からしても答えが出し難い感じがしてきました。ビジョンを持った問いは問いの内容が個の内面を向いている感じがしました
ビジョンを持てば、問いが薄まるって、確かにそうだと思いました。今年の抱負を持つと自分の行動を限定してしまうと思います。問いも限定してしまうと思います。今やっていることが終わるとまた次を探してしまうのが抱負かもしれません。もりけんさんは問いだけで、神への気持ちを表わしていると思います。成果云々を気にしているとビジョンを持ちたくなると思います。そんな狭い問いでは、神への恋は語れないって、すごくカッコいいです。抱負無しで、限定無しな問いがあるって、半端じゃないと思います
あけましておめでとうございます。今年も「ワンネス」HPにお邪魔できて嬉しいです。もりけんさんは一年中お忙しいですが、次は何をやるのか聞かれても何もないと答えられるのだなと思います。自分で計画したものは何もなくて、神の性質を知りたいという問いがあるだけで、向こうからやってくるの感じなのだなと思いました。でも、いつどんな時でも最善を尽くしているからこそ、やってくるものなのだということを思いました。ビジョンを持つことが大事と言われていたりしますが、ビジョンを持つことで他の大事なことをたくさん捨ててしまっているのかもしれないと思いました。なにより問いを持つことが大事なのだということを感じました。
あけましておめでとうございます☆
恋に落ちたもりけんさんはそれからずっと、神のことを思い続けているのですね。長い恋、永遠の恋・・去年も新年も・・ずっと神のことを知りたいのだと思います。ほんとに素敵なもりけんさんです。
明けましておめでとうございます☆何もありませんって、とってもすごい答えです。今までもりけんさんの他に聞いたことないです。神に恋して、神の性質を知りたいという問いを前にして、大晦日も元旦も日常も同じになってしまうのがカッコイイです。恋してる神から何がくるかわからないから、自分のビジョンどころじゃないってバリバリ問いを生きてるもりけんさんは、とっても生き生きしてます☆
あけましておめでとうございます♪今年の抱負を聞かれて「何もない」って答える人はほとんどいないと思います。自分もそんな答えをしたことないです。いつも、何らかの願いや目標があることが前提で「今年の抱負は~~です」と答えてきたと思います。それをビジョンだと意識したことはないです。でもビジョンです。自分でビジョンを設定すれば、それだけ自分を狭めてしまうと思います。本来、全体と繋がっている自分をこうしてわざわざ自分で限定してしまっている。それも無意識のうちにです。アンテナと無線で例えるとそれはわざわざ1年間の周波数を一つに絞ってダイヤルを固定するようなものなのだと思います。本来、向こうからやってくる電波にあわせてその時その時にダイヤルを変化させてキャッチできるものを、ダイヤル固定で逃しているようなものなのだと思います。まだ誰にも「今年の抱負は?」と尋ねられていませんが、今年は自分もダイヤルを固定せずに全方位の電波にオープンにしていきたいと思いました。
あけましておめでとうございます。もりけんさんはいつも休むことなく、すごくいろんなことを全力でされてるけど、抱負は何もない・・とずっと今までもそうしてこられたというのが、めっちゃかっこいいなと思います。持っているのは、自分がしたいことではなくて、神を知りたいという問いだけなんだと思います。完全受け身状態で目の前に用意されたことを全力でされてるんだと思います。されてること全てが問いにつながってるんだと思います。
ビジョンも考えれば目標になるんだなとハッとしました。ビジョンということばの響きがかっこ良く感じられて好きでした。目標とか抱負を持つとそれをめざしてどうしたらいいか考えますが、全方位な問いは持てないなと思いました。でも人に認めてもらったりというような喜びはあると思いました。問いは孤独にさせる性質があると思いますが、はかりしれない魅力がその向こうにあると思いました。わたしももりけんさんの本に出会った時から予定を入れなくなりました。抱負も持たないように意識していきます(^^)
ビジョンを持ってしまうと、問いがビジョンを達成させるためだけに収束してしまう感じがしてきました。ビジョンというのは今の否定であり、こうなって欲しいという願望でもあるように感じます。そのような否定からくる願望の問いは、すべてを認める神からしても答えが出し難い感じがしてきました。ビジョンを持った問いは問いの内容が個の内面を向いている感じがしました