映画「和」 社会変革の映画は作れない

2014/03/17 7:40 AM

  
 私には社会を変えようという気は、もともとありません。
 日本は民主国家です。社会を変えようとすることは、他の人たちを無視しています。
 映画監督になったからとはいえ、同じです。
 いえ、監督になったからこそ、社会を変えようとするような映画は慎むべきだと思っています。
 映画監督は、そうそうなれるわけではないと思います。
 監督になれば、多少の影響力は出てきます。
 その力を利用して社会を変えるなど、観客をバカにしています。観客は社会変革の手段ですか?
 というわけで、私には社会性のあるドキュメンタリー映画は作れないのです。
 じゃあ一体、何を作ればいいんだ?(笑)
(続く)


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コメント

  1. みっく より:

    社会を変えるような映画を作る・・・ということは、それを見る人たちもみんな社会の一員なのだから、その観客たちを無視して、否定して、自分の意見が正しいんだ、こうしたらいいんだ・・と言ってるようなものなのだと思います。自分たちが否定されて気分いいわけないと思います。でも、こうした方がいい・・という主張に、観客がそうかも・・とか、やっぱ変えなくちゃとか思ったとき、みる側にも否定が伝染してしまったみたいに思います。もしそんな風にして社会改革がなされてしまうとするなら、ほんとに、観客は手段になってしまいます。
    社会を変えようということを主張することは、どちらかと言えばいいことと思っていたと思います。でも良く考えれば、周囲を無視し、否定していることだったんだと思います。そしてそれは、日本が大前提としてる民主国家ということから外れてることなんだと思います。
    ドキュメンタリー映画というと、多くが社会に対して物申すようなのがほとんどではないかと思います。全肯定でずっとこられたもりけんさんは、社会を否定し、観客を無視するような映画は作れないんだと思います。となると一体何を作ればいいんだ・・となったのだと思います。

  2. まるこ より:

    いままで映画監督がこんな視点を語るのを聞いたことないです。どちらかと言えば逆なのではないかと思いました。映画監督に限らず、社会的影響力を持つほとんどの人は、その影響力を利用してなんらかの社会変革をしようとすると思います。そう考えると改革を求めるマスコミなんて、その最たるものだと思います。民主主義を守れとか言いながら、いちばん人をバカにしているように思いました。神が私たち人間にとっての映画監督であるとするならば、成長や進化を人間存在の理由とすることも、同じことだと思いました。それは神が人間を宇宙変革、つまり神自身の成長や進化のための手段として利用していることになります。だとすればこれ以上ない神のエゴのために時空が存在することになると思います。でも成長や進化を求めることでそういう神に仕立ててきたのは私たち人間だと思います。実際の神は森田監督と同じで真逆な視点を持っているのではないかと思います。神だからこそ慎むべき。監督になったからこそ慎むべき・・という視点に、神の視点を感じました。

  3. どせい より:

    ドキュメンタリー映画というと・・社会改革的な作品を彷彿します。(環境問題とか、反原発とか、汚職を暴くとか・・です。)でもこれは、基本は「自分は正しくて、他人は間違っている」・・というスタンスだと思います。社会を変えようとすることは、そもそも他の人たちを無視していることなのだと思います・・。
    もりけんさんは、逆に、映画監督という影響力をもったポジションであるからこそ、その力を利用して、社会を変えようとするのは、観客をバカにしていると思われたのだと思います。

  4. 小町 より:

    任侠ものの映画を見たら、肩で風切る勢いで歩いてしまいます。ミュージカルを観れば、何故かしら歌って踊るのが楽しいと感じます。映画には映像の力があると思います。その力はドキュメンタリーでは社会は悪いから帰るべきだっていうのが多いと思います。力があるから利用してしまう、それも本人だけの問題じゃない社会を巻き込んで、自分の思い通りにしたいは、もう社会云々では無くなっています。自分の性格を直せも結構難しいです。それ以上に社会を直せはもう不可能です。ドキュメンタリーは社会改革すべきだになっているけど、それを構成しているのはひとりひとりの人たちです。もりけんさんの他の人を無視していませんかで、ここまで考えました。自分の性格すら変えれないのに、映画で社会改革をするが傲慢だと思ってきました。もりけんさんはそんな映画は作りたくない、だからドキュメンタリーで何を作ればと悩んでしまうことに共感を覚えます。でも映画を作っていない私は共感しても悩みの解消になっていないと思います。少なくても社会改革の映画は観たくないと思います。

  5. こはな より:

    社会の、周りの人のことを想われているので、変えようなんて思わないのかもしれないと思いました。観客のことを思いながら、一体、何を作ればいいんだ?と、悩まれていたのだと思いました。

  6. なんしぃ より:

    社会変革の映画というものは、時代が変わったときにいろあせてしまうものかもしれないと感じました。観客をばかにしたくないという監督の気持ちは観客に伝わると感じました

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