昨日は佐野美代子さん訳の『すべてうまくいく』を紹介しました。
実は映画「和」ができるきっかけになったのは、佐野さんから「ザ・シークレット」のDVDをいただいたことなんです。
映画会社は言いました。
「何かドキュメンタリーを作りましょうか・・」
私は受け身的に動く人間です。
「うーむ、できるかどうかわかりませんが・・」
というわけでドキュメンタリー映画がスタートしたのです。
つまり・・です。
僕の内面には、「これを作るんだ」というものは何もありませんでした。
だからいったい何を撮ればいいんだ・・が、大問題でした(笑)。
これは私の人生全体に言えることです。
私には何かをなしげたいというものが、もともとありません。
(続く)
映画「和」をつくるきっかけとなったのは、もともと、佐野さんから「ザ・シークレット」のDVDをいただいたことが、発端となっていたのですね。それを映画会社さんが見て、「何かドキュメンタリーを作りましょうか」という話になって、二作目がドキュメンタリーという形になっていったのだと思います。
でも、もともと、もりけんさんの内面には「これを作るんだ」というものが無く、この時点では、何かを撮りたいどころか、何をとればいいんだ・・という状態だったのですね(汗)これは大問題だと思います。何だか、聞いていて、ドキドキします(爆)
「和」のドキュメンタリーを撮るきっかけが、佐野さんからプレゼントされた「ザ・シークレット」のDVDというのも、すごいと思います。もりけんさんは「ワンネス」が初めての映画監督でそのきっかけも映画会社からの提案だったと思います。次に何かを作りたいもなかったというのも自分の中に存在しなかったと思います。受け身的に動くって言っても、自分で思ってもみないものをやるには否定的な気持ちが湧いてきそうです。成し遂げたいものが無いというのはすごく大きいと思います。何かを成功したいになっていないと思います。提案に乗ることは成し遂げることでは無いから乗れると思います。逆にこうしたいがあれば、自分の尺度の中で乗らないんだと思います。自分が主じゃないことをずっとされ続けていると思うと、カッコいいです。
何を撮ればいいのかが大問題になる映画って聞いたことないと思いました(笑)普通は映画監督の中に「私はこれを撮りたい」というなにか熱い想いのようなものがあって、映画が出来るのではないかと思います。でも森田監督の場合は、そういうものは全くなく、中身がカラッポ。「和」の制作が始まるときも、佐野さんがくださったDVDがきっかけで「ドキュメンタリー」というキーワードだけがあったのだと思います。森田監督作品が出来上がる背景には、森田監督の生き方そのものがとても反映されているんだと思いました。
ドキュメンタリー映画の提案も映画会社さんからきたもので、そのきっかけを作ってくれたのも佐野さんのDVDからというのが、本当にとことん受け身だと思いました。受け身というと一見消極的なイメージがあるけれど、受け身のもりけんさんほどに徹底的に動かれてる方はほかにいないのではないかと思います。もともと外側からきたものだから、自分のなかに表現したい何かがあるわけではないから、これを撮りたいではなく、何を撮るか?という問いも出てきたんだと思います。自分の人生で成し遂げたいものはないというもりけんさん独自の視点が、「和」にはそのまま現れてるのではないかと思います。外側からの情報や提案で動かされるもりけんさんは、周りとの縁やつながりや流れをとても大事にされてるのを感じます。
人生で成し遂げたいものを意識でもってしまうことはもったいないと感じました。自分のことしか考えていなくて、自分以外のことと遮断した状態になっているように感じました。運命が決まっているということは、自分の力で為せることはなにもないということでもある気がしました。そのことを知り認めることで、自分のことは置いておいて、神や大本のことを考えたり根源的な問いを持てるようになると感じました
佐野美代子さんから、ザ・シークレットのDVDをいただいたことがキッカケで、映画「和」は制作されたのだと思いました。引き受けてから、何を撮ればいいんだろう・・と映画制作は始まったのだと思います。いきなり始められたのは、成し遂げようとするものが元々ないからなのだと思います。
ドキュメンタリーを撮ることになったのも、その内容も、もりけんさんの中から出てきたものではなく、外側から来たものだったんだと思います。こんなドキュメンタリーを撮るぞ!撮りたい!とやる気満々で始めたのではないのだと思いました。流れに乗って始まった制作で、とても素晴らしい映画ができたのだと思います。今回に限らずもりけんさんはずっとそうして生きてこられていて・・とすると、とても昔は思いもしなかったような、思いがけないことばかりされてるのではないかと思います。こうしたい、ああしたい…というのを温めて行動に移したのではないからです。そういうのがないからこそ、外からの流れに乗れるのかもと思います。思いや意思が強いほど、外の流れには乗れない感じがします。そんな状態でもし乗っても迷いや不満がでてきそうです。成し遂げたいものはない・・・というのが、ほんとにすごいことだなと思います。