スペインから来た神父さんは言いました。
「キョウハ、アイノ、モクテキヲ、ベンキョウシマス」
という感じで言いました(笑)。
いいですねぇ、少しなまっていたほうが雰囲気が出ます。
以後、この神父さんを「G神父さん」と呼びます。
さてG神父さんが取り上げた本の続きです。
『人間が動物と本質的に違うのは、人間が本能の世界から抜け出し、自然を超越したということである。もっとも、人間が完全に自然から離れることはない。あくまで人間は自然の一部だ。とはいえ、ひとたび自然から引き離されると、もう戻ることはできない。ひとたび楽園から追い出されてしまったら、戻ろうとしても、燃える剣をもった天使に行く手を阻まれてしまう。人間は新しい調和を発見することによって、前進するしかないのだ。男と女は、自分自身を、そしてお互いを知った後、それぞれが孤立した存在であり、別々の性に属しているという意味でたがいに異なった存在であることを知る。しかし、自分たちがそれぞれ孤立していることは認識しても、二人はまだ他人のままである。まだ愛し合うことを知らないからだ。人間のもっとも強い欲求とは、孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したいという欲求である』
この文章に対する私の意見は、明日入れます。
G神父さんから「愛の目的」を勉強していると思います。教科書のくだりに、すごいと思いました。人間は自然に戻ることは許されないんだと思いました。一部だけど超越してしまったから、ずっと孤独の中にいるのだと思います。戻ろうとすると天使が燃える剣で阻止してくると思います。えーー、天使は優しくないんだと思いました。男と女も本当に愛し合っていないのは本当の愛を知らないせいなんだと思いました。愛が遠のく感じがします。しかし、だからこそ愛を知りたいと思ってきます。
G神父さんのちょっとなまった感じを想像しながら、読みました。
自然と一体化していた世界は、楽園だったのだと思います。ひとたび離れてしまった人間は、もう戻れないのだと思います。何かすごい孤独を感じました。自然から離れた人間は、自分自身を知り、男女を知るのだと思います。自然と一体化してる時は、自分を自分と思うこともなかったんだと思います。男女を知っても、愛し合うことを知らなければ、孤独なままだったんだと思います。とても孤独な状態で、愛する対象が存在することは、とても幸せなことに思いました。その時自分が愛で満ちてるかどうかとか、自分がどういう人間かとか、関係なく、愛したいって思いそうだと思いました。
心という文字が存在しなかった時代には、心もなかったと聞いたことがあります。人間が自然の一部であった時は、個は集団の中の細胞のような一部の存在で、種の生存のために生きていたのではないかと思います。個を意識した時、個体ごとの心を得て、個の生存や幸せを追求しはじめたのではないかと思いました。
個を知ってしまったら、それ以前の調和に立ち戻ることはできないのだと思います。でも人間には孤立を克服したい、抜け出したいという強い欲求があるのだと思います。だから新しい形での調和を発見して進むしかないと、G神父さんが教材に使った本には書かれているのだと思いました。
G神父さんのお話、ショックでした・・。・・・こうなると、「十分な愛に満たされてる人」なんて、最初からいないじゃないかと思いました。そもそも、人間は、もっとも強い欲求として、みんな孤立を克服したいって、欲しているのだと思います。人間は、動物と違って本能だけの世界から抜け出したと思います。それは、ある意味、自然を超越したことにもなりますが、その反作用として、自然から引き離されることで、分離を感じるようになっているのだと思います。もうあともどりできないのだと思います。新しい調和を発見することによって、前に進むしかないのだと思います。
愛の目的は、人間として存在するだけで持ってしまう欲求の解消なのだと思いました。欲求を解消するため、愛するし、愛し合うのだと思いました。
アイノモクテキという授業の文章は、楽園から出たことで、私たちは孤独から逃れたいと思い、愛し合いたいと思うようになるんだとしたら、すごいって思いました。もしもそのまま楽園に居つづけたら、愛そのものを知ることもなく、欲することもないのかもしれません。引き離されて分離してるからこそ、孤独から抜け出したいと強い欲求を持つエネルギーがわいてくるのかもしれません。愛は、孤独から逃れたいという欲求から生まれたものだとしたら、めちゃめちゃ親近感がわきます。誰にでもある欲求だと思うからです。
自分はいままで愛についてまともに考えたことがなかったです。なので、もちろん愛に目的があるなどという考えには全く及びもしなかったです。「人間学」の授業でG神父さんは愛の目的について勉強しましょうと言われたのだと思います。スペイン語訛りの日本語でサラッと言われるシーンがイメージされましたが、めちゃくちゃ衝撃的です。本能の世界から抜け出した人間。この記述自体がすごいです。私たちはもう戻りたくても戻れないのだと思います。前進するしかないというのも本当にそのとおりだと思います。気が付いたら自然から抜け出した存在として生まれていて、前進するしかできない。ここにまず私たち一人一人の人間の孤立があるのだと思います。しかしそれだけでなく、更に男と女としての孤立が存在する。ちょうど自然界から抜け出した孤独な人間として生まれることに選択肢がなかったように、男に生まれるか女に生まれるかにも選択肢が与えられていません。そして男と女の違いがさらなる孤立を生むのだと思います。私たちは自分たちのコントロールが及ばないところで、このような二重の孤立を持つ運命を抱きながら生まれたのだと思います。まさに孤独の牢獄に放り込まれるべくして人間は生まれるのだと思います。そして私たちは他のどんなものよりその牢獄から抜け出すことを求めている。こんな欲求が自分も含め全ての人間の中にうごめいているとは考えたこともなかったです。どれも人間という存在の本質を見抜いたすごい指摘だと思いました。
順にレスポンスしたいとおもってるのですが…拝見してから…今に至るまで凄く考えました。愛は無目的無条件…つまり私ににゃ無理、縁がない つまり私にや愛って分からない……みたいなものだとおもってたので…愛の目的…めちゃめちゃ反芻してしまいました。なんだろうこれって凄く唸ってます