映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その6)

2015/03/10 7:18 AM

「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
 今マスコミでは多摩川の河原で起こった少年の殺傷事件がさかんに報道されています。
 主犯格は18歳ということで、コメンテーターたちも「今回の彼は厳罰に値する。少年法を改正して年齢を引き下げろ」と意気込んだのが多いです。
 でも私がたまたま見たワイドショーでは「死刑を廃止した国は凶悪犯罪が増えると思えばそうではなく、逆に減っているのです。これはデータなのです」と言っていたIT関係のコメンテーターがいました。
 そのあと彼は、やり込められていましたが。
 法律はどんどん出来ますが、廃止される法律は本当に少ないです。
 つまり人間同士による「審判」がはびこってきて、がんじがらめの世の中になりつつあるのが現状だと思います。
「審判をしたがるのは人間だけだ」という神の一言は、本当に奥が深いと思っています。 


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コメント

  1. 小町 より:

    刑が無ければ凶悪な犯罪も少ないのはデータだと思います。そう言えば法律の最初は罰するものだったと思います。「目には目を、歯には歯を」これが現在も法律の根底にあるかもしれません。相手が死んでしまったのにのうのうと生きているのが許せない、自分に降りかからない間は審判してしまうと思います。法律は悪さ無くしたいがためなので、無くなったら余計に悪くなるからと減らせることが出来ないと思います。たくさん、法律があれば安心してしまうのは基準を必要としていると思います。すごく考えさせられます。

  2. まりん より:

    犯罪がふえれば刑罰をどんどん厳しくするけれど、それは犯罪を減らすためで、データからは逆のことをしつづけてるのだと思いました。きょうの西日本新聞では前世についての特集記事が組まれていて、50~80代の男女の投稿記事がたくさんのっていました。みんな前世や来世を信じてる人たちばかりの投稿で、87歳の男性が前世の報いが今世で、今世の生き方次第で来世がきまる。。。前世を全く覚えてないけれどそういうふうになってるらしいから甘んじて受け容れるしかない。。。と書かれてあって、審判されるシステムはこの世の刑罰だけでなく前世や来世にも。。。でもそれは神ではなくすべて人間たちがしてきたことなのだと思いました。

  3. こはな より:

    審判したがるのが人間・・だからしてしまうけれど、同時にがんじがらめにもなっていて、審判すると、自分もどんどんがんじがらめになってくのだと思いました。

  4. まるこ より:

    人間が自ら審判を増殖させ生命を収束させているのだと思いました。法律という価値基準が増えれば増えるほど、それに合わせねばならないという義務感も増します。それが過ぎれば、要求されるからやる、やらなければならないからやるだけの生になってしまいそうです。それはもはや生ではないのかもしれないです。犯罪も生への肯定感や生の多彩さが減った結果起こっているのかもしれないと思いました。

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