映画「ワンネス」も「和」も、サインという問題を提起しています。
でも考えてみてください。良いことや悪いことの前兆としてサインが来るということは、未来は白紙ではないということです。
ふたつの映画は、運命は決まっているという問題を投げかけています。
これが戦争を無くするのです。
なぜなら戦争は、諦めないから起こるのです。
運命が決まっている時、敵を憎んでも始まらないです。
だってバカバカしいでしょう?(笑)
運命が決まっていることを前にして、人類は一種の諦めの状態に入っていくと思います。
そんなことになれば、発展はないでしょうと言われそうですが、むしろ逆です。
運命を味わうために今に集中するようになります。
戦争は、未来は白紙だと誤解している人が起こすのです。
それがなくなれば、平和が来ます。
誤解してるだけなんだと思います。全然否定も批判もされてなくて、ただ間違ってるだけ、知らないだけ、そう言ってくれてるんだと思います。サインと、運命が決まってることと、諦めること、さらに運命を味わうこと、すべてがつながってて同じだということに初めて気づきました。私が誤解してたのは、未来が白紙だということだけです。その情報を知らなかっただけなのだと思います。それを知ることで自動的に変わるんだと思います。原因は人間でも社会でもない、情報の誤解だけ。。。とてもキました。
戦争も反戦もどちらも根は一緒なんだと思いました。どちらも自分が未来の主導権を握って自分の思いどおりの未来にしたい。未来が運命で決まっていたら戦争も反戦もバカバカしくてできないです。そんなことより決まっている未来をそのまま受け入れて今を楽しんだほうがいいです。多くの人があるがままの今を楽しむ生活をするようになれば戦争は自動的に無くなると思います。成長も、進化も、未来も諦めて今を楽しむ。時空が用意してくれている平和を受け取る方法は、とてもシンプルだと思いました。私たちは今までずっとこのシンプルな方法に気づかなかったのだと思います。それを「ワンネス」と「和」が教えてくれるんだと思います。これも時空からのプレゼントなんだと思います。しっかりと受け取りたいです。
諦めるのも「いまのまま」なんだと思います。時空が運命を作ってくれたから、私たちは「いまのまま」を楽しんで生きられるのだと思います。あとはそれを受け取るだけ。やはり時空はどこまでも優しいと思いました。
運命が決まっているとや諦めることを、私は、何だかずっと勘違いしていたように思います・・。運命が決まっていることは、がんじがらめであるような、そんな気持ちでいましたが、最近、むしろ、運命が決まっているにも関わらず、諦めずにあがいているほうが、よっぽどがんじがらめではないかと感じるようになりました。一生懸命、流れに逆らおうとしてるからです。流れに逆らおうとあがけばあがくほど、戦争も起こるのかもしれないです・・。
一種の諦めの状態というのは、それはそれで、むしろ今に集中するようになって、感覚的には、自由度が高いような気がします。できないことはさっさと諦めて、できることに集中するようになるのかもしれないです。むしろそれは運命を味わうことではないかと思います。
サインは、わたしはもりけんさんから知った概念です。映画「ワンネス」「和」で登場して、初めて知る方にとっても、私にとっても・・問題提起になるのだと思いました。サインって?と、色々と考えを巡らせたら、もりけんさんのように、運命が決まっているからでてくると気づけるのかもしれないと思いました。でもそれは、今、その出会ったものに集中することをされているからかもしれないと思いました。サイン、戦争、人間・・それらが世界に生まれた元を辿ること・・それが根源的問いかもしれないと思いました。もりけんさんからのお話は、人間の間で起こる戦争の原因が、人間には置かれていないです。変わるきっかけもです。諦めるも人間の持つ本質なのだと思います。いつか死ぬとか、避けられないことの前で生まれる感情だからです。でも・・映画「ワンネス」の智也は、だからこそ運命に挑戦するのだと思いました。話がずれてしまいましたが、やはり平和な世界は来ると思います。
運命が決まっていたら、諦めるしかないと感じました。そして相手のことも運命で決まっているのだと思い、相手のことも諦めることができるように感じました。相手のことを諦めたとき、相手を憎むこともできなくなると感じました。相手に対しても対抗しようとか思えなくなると感じました。自分のことも諦めたら、自力で人生を切り開こうとか思わなくなると感じました。自力で自力でと思う人同士がぶつかったり、競ったりしてしまうように感じました。たとえ、相手がぶつかってきたとしても、自分で自分のことを諦めていたら、争いにならないと思いました。運命が決まっているという情報は世界に平和をもたらすと感じました