映画「ワンネス」 無神論者だった私

2013/08/25 7:37 AM

 
 高校一年の終わりまで、私は神について考えたこともありませんでした。
 まったくの無神論者でした。
 宗教的なことを話題にするのもイヤでした。
 この世界は偶然にできたと思っていました。
 だから私は、無神論者のことも理解できるつもりです。
 15年間に渡り、自分自身がそうだったからです。
 それが高二のある日を境に、まったく変わってしまうのです。
(続く)


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コメント

  1. なんしぃ より:

    もりけんさんの書物に偶然出会ってから偶然というものがご縁というものである感じがしています。この世が偶然できたとしたら根源にはご縁を感じました。必然より偶然の方がすべてに開かれた繋がりのご縁を感じました。私は宗教を知っていましたが、神のことを全く考えてこなかったと感じました。今でもそうだと感じます、だから神のことを考え続けて問い続けているもりけんさんの姿から、私が個に執着し続けて生きていることをそれで生きていいのかと問題提起されているように感じています

  2. まりん より:

    森田さんほど、神を問い続けてる人をほかに知らないです。宗教や本では、神を教えてはくれても、神への問いは出てこなかったです。神とは○○という答えだけの世界でした。私もずっと分かった気になってたんだと思います。森田さんは、無神論者でいつづけたときも、神を問い始めてからも、まったく変わってないんじゃないかと思います。なぜなら、神について、答えではなく問い続けてるからです。宗教や世間で言われてきた神を、鵜呑みにしないというのは、とても難しいと思いました。

  3. みっく より:

    もりけんさんは、神について、まったくゼロの状態から、突然、人生をかけて神のことを考える人生になったみたいに思います。突然変わっただけでなく、それが今もずっと続いているのだと思います。それほどすごい出来事が高校二年生の時にあったのだと思います。

  4. 和佳 より:

    森田さんは全くの無神論で宗教的なことを話題にするのも嫌だなとかんじてたんだなと思いました。今でもその経験から無神論者の方の心境を理解できるぐらいなんだなと思いました。それが高2のある日をさかいに 全く変わってしまったのですね。私は森田さんというと神の探求とおもうので…今の森田さんとぜんぜん違うところがあったんだなぁって衝撃を受けました。話題にするのも嫌だったというのは初めて伺うお話のように思います

  5. こはな より:

    もりけんさんは、神について考えられていますが、考えてなかったこともある・・という告白でもあるのだと思いました。神はいないというひともいると思います。宗教的な話をするのがイヤな方もいると思います。神についてついて全く考えていない方もいると思います。
    もりけんさんはどうだったのか・・という事をお話してくれているのだと思います。それが嬉しいです。ありのままを話すことってキラキラして感じられます。

  6. 小町 より:

    私はいつから、神について、考え出したのかと思ってしまいました。自分が本当に神を知りたいって、思ってきたのかを問われています。もりけんさんほど、神を知りたいと思っている人に出会っていません。神のことを信じていない時期をこれほど、明確に持っているのだと思います。私があやふやに思っていたこととすごく違っていると思いました。高二でガラリと変わったと思います。

  7. まるこ より:

    高校生になられる頃には、もう既に何らかの形で神を考えられていたのかなと思っていました。でも実際はまったくの無神論者でいらっしゃったのだと思います。ずっと無神論者としての中高時代のお話をしてくださっていて、そんな中で絶望されたのだと思いました。自分がイメージしていた絶望は、今のように神を語られるもりけんさんが経験された絶望だったのだと思います。でもお話してくださった絶望は、今とは全く異なったもりけんさんの体験だったのだと思います。まったくの無神論者でいらっしゃったという視点でもう一度、ここまで書いてくださった一連の出来事を感じ取ってみたいと思います。

  8. えり より:

    世界の成り立ちについてもう考えていらしたんだなと思います。わたしは当時占いが好きでしたが根拠を考えることはなく、ことばに酔っていただけだったなと今思います。無神論だったのに高二のある日を境に変わってしまうのですね。神がその存在を示したんだと思います。ドキドキします。

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