映画「ワンネス」 悟りは希望か絶望か?

2013/08/24 6:44 AM

 
 昨日は「絶望」というテーマで書きました。
 悟りはどちらでしょうか?
 夢や希望でしょうか?
 それとも絶望でしょうか?
 無とか空とか言われますが、それは望みを絶つことではないですか?
 だとすれば、どちらかといえば絶望に近くないでしょうか・・。


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コメント

  1. どせい より:

    この切り口は・・・すごいです。これまで、「悟り」というのは、むしろ「希望」に近い存在として語られてきたのではないかと思います。個が、悟りを目指されるのは、悟ることで心の平安が訪れたりすると考えていて、だから、悟りにたどり着くことは、「希望」という形で語られてきたと思います。ですが、お話を聞いていて、「悟り」の状態というのは、夢や希望を絶たれていて、むしろ「絶望」に近いと思いました。

  2. 小町 より:

    悟りって、どんな状態かを想像できないでいましたが、絶望が本当に何も無い状態だと思います。昨日の書き込みも唸りますが、絶望と悟りについても、本当に考えさせられます。

  3. みっく より:

    悟りの状態にあこがれ、悟りを開きたい!と思う人はいても、絶望したい!と思う人はいない・・と思います。悟りと絶望の言葉から受ける印象はメチャクチャ違うのに、実は「望みを絶つ」ということで、近いものだった・・というのが衝撃です。夢や希望を持つことはいいこととされてる中、悟りたいと思う人もいるのは、なんだかおかしい。。と思いました。
    言葉のイメージだけになりますが、悟った後には何かいいことがあるような印象が、なぜかあります。でも絶望の先には何もないように思ってしまっています。絶望状態の時、決してその状態を意識がのぞんでいるのではないみたいに思います。悟りはこれでいいと意識も思っている感じがします。立川駅でも、感情は、迷いや焦り、戸惑い、後悔などを感じてても、絶望状態の方へ進んだもりけんさんだったと思います。そう考えると、悟りより絶望の方がすごいことに思います。絶望状態に進んだ森田君はほんとにすごいです。でもそうしている本人は自分がすごいとか思ってないと思います。

  4. 和佳 より:

    悟りが夢や希望の仲間か 絶望の仲間かときかれたら…やっぱ夢や希望の仲間ではないようだなって感じます。私は私自身に夢や希望があるとおもうし…悟れたことがないです。…悟りは絶望に近いのかもしれないんだなって思いました

  5. こはな より:

    絶望に近いのではないかと思います。この書き込みを読んで「悟り」は、望みが無いことなのかもしれないと思ったからです。

  6. まりん より:

    悟りは、 無や空と言われます。だとしたら絶望に近いって、その通りだと思いました。今までは悟りは頂点のイメージで、特別な世界だと思いこんでました。絶望。。。それは特別でもなく頂点でもないです。すごい問題提起だって思いました。

  7. 桃有 より:

    悟りをひらくというとイメージ的にはもうこれ以上望まない、現状のままでいいんだという感じなのかと思いました。悟ると夢や希望は持たなくなると思いました。でも絶望というイメージではなかったです。でも夢や希望を立つから世界が見えてくるのかもしれないと思いました。絶望に近いは、そうかもしれないと思いました。

  8. えり より:

    わたしは悟ってる人だと言われたことがあります。でもだからと言って何が起こるわけでもなく、また世界は終わることなく続いています。なあんだ。悟っても終わりじゃないんだとその時思いました。欲はあります。呼吸に意識をあわせていると夢や希望はありません。体の生命活動だけを感じます。なぜ、どうやって動いているのだろうとただ見ています。できる限り力を抜いていくようにしてみています。あるけどない、ないけどある、これが絶望状態なのかなと思います。

  9. まるこ より:

    悟りは「差取り」であるとよく言われます。「悟りは希望か絶望か?」と考えていて、この「差」とは「価値の差」ではないかと思いました。「あらゆることに価値の差がない」とは以前からもりけんさんがよく言われている言葉です。絶望の前にはあらゆることに価値の差がないのではないかと思います。夢や希望はその逆だと思います。価値の差をより明確にはっきりとさせることが夢や希望だと思います。もりけんさんが書いてくださった中学、高校時代の一連の出来事は、「価値の差」がある世界から「価値の差」が無い世界へのシフトなのではないかと思います。それは「個」から「全体」へのシフトと言っても良いのかもしれないと思います。「価値の差」は「個」あるいは「内側」に由来しているように思います。「全体」あるいは「外側」には、もりけんさんがいつも言われているように、「あらゆることに価値の差がない」のだと思います。したがって悟りは「外側」に由来しているように思います。絶望を悟りと関連付けたことはなかったですが、悟りと絶望はとても近いのではないかと思いました。

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