映画「ワンネス」 絶望

2013/08/23 7:29 AM

 
 昨日書いた「流れに乗る」という書き込みに対して、タイヤの川下りに似ているとレスをした人が何人かいました。
 川下りは別の機会にレポートしますが、あれとは違うのです。
 なぜなら川下りは自分で計画し、望みに向かったからです。
 ここ一週間ほどで上げた事例は逆で、絶望…すなわち望みを絶つことです。
 生徒会長選に敗れて望みが絶たれました。
 ブルマの少女を見て、トップ高校への望みを絶ちました。
 高一ではアマチュア無線に熱中して家にいるほうが楽しかったのに、Uターンすることでそれを絶ちました。
 声が聞こえたって空耳に決まっています。
 何も起こらず、バカなことをしたと後悔するに決まっています。
 それよりも早く家に帰り、見知らぬ局と交信したほうが楽しいです。
 階段を駆け上がるとき、脱力感で一杯でした。
 僕は僕に言いました。
「しっかりしろよ健、自分を持てよ」
 しかし自分を放棄して駆け上がります。
 好奇心だと言う人がいるかも知れませんが、それも違います。
 ちゃんと音として聞こえたことに反応するのが好奇心です。
 絶望…すなわち望みを絶つことです。


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コメント

  1. なんしぃ より:

    絶望ということにマイナスのイメージしかなかったのですがそうでもない感じがしてきました。絶望は出会いのご縁を新しく結ぶ感じがしました、自力で頑張っても出会うはずがない人たちとの偶然の出会いを感じました。成績がトップでトップの高校に行っていたら、3ランク下の学校の生徒の皆さんとの出会いはなかったように感じました。ブルマの少女とも出会うことができなかったように感じました。トップの高校に行っていたら、Uターンもなかった感じがしてUターンがなかったら学校一の美人とも会えていなかった感じがしました。絶望というのは縁が繋がることのように感じました。希望を持つことは縁を断ち切ること偶然を受け入れないことのように感じてきました。どちらが幸せかと考えると絶望のほうが意外な縁が繋がるように感じました。望みを断つと思ってもいない出会いが出現する感じがしてきました

  2. こはな より:

    森田君は自分の望みを絶ったのだと思います。家に帰る方が楽しいのに、どうせ空耳とか、バカなことをしているに決まっていると思うのに、自分を放棄したのだと思います。ちゃんとした音にはなっていない声・・そんな微弱な声に対し、Uターンし、駆け出したのだと思います。

  3. まるこ より:

    「流れに乗っている」「流れが来ている」という言葉は良く使われる言葉です。でもそれは自分の望みに適った方向で来ている流れを言っているのだと思います。もりけんさんの言われている流れは真逆なのだと思います。もりけんさんが書かれている「流れ」には自分の意志は全く無いのだと思います。自分の意志が入っていないから「流れ」なのだと思います。意志が入っていないどころか「自分を放棄」して「脱力感に一杯」になりながら階段をダッシュされたのだと思います。そんな「流れに乗る」ことを体験した人をもりけんさん以外には知りません。ほとんどの人はそういう「流れ」には流されないし、ましてや乗ろうなどと思わないと思います。それは「自分を持つ」ことが常識だし、良いことだとされてもいるからだと思います。「自分を貫く」ことが善のようにも言われます。そして何よりも「個」を認識しながら「自分を持たない」ことに、ほとんどの人は不安や虚無や恐怖を感じるのではないかと思います。だからわざわざそんな方向へ一歩踏み出すことはしないのではないかと思います。声が聞こえた森田君も「後悔するに決まっている」と思ったのだと思います。そこに見えているのは高校イチの美女ではないです。何も起こらず虚しさや嫌悪感を感じる自分自身だと思います。そんな方向、つまり絶望へダッシュするのはものすごく難しいと思います。しかし森田君はダッシュされました。その後のもりけんさんは絶望の先にあった生をずっと生きてこられたのだと思いました。

  4. えり より:

    ある時主役から力不足だとおろされたことがあります。その時何も知らない人からどうしたの。元気ないよ。でも何か女らしい。いい感じって言われたなと思い出しました。好奇心というのは反応することなんだと思いました。わたしはこの時は状態を作りながら反応しなかったんだろうなあと思います。

  5. どせい より:

    生徒会長選挙に大差で敗れたときも、立川駅で雑踏の中をUターンしたときも、希望はまったくない状態だったのだと思います。何も起こらず、バカなことをしたと後悔するに決まっている・・・そう思える状態の中、たった一人でUターンされたのだと思います。多くの人、あるいは多くの場合・・・どのようなときでも「希望」を求めてしまいがちになると思います。そして、行動するときには、その「希望」にすがると思います。

    ですが、森田さんは、このとき、「希望」が何もない状態で、「絶望」ともいえる状態であったと思います。しかし、「絶望」というのは、何にもすがっていなくて、何も期待していなくて、その時点では、360度の状態に近いのではないかと思います。「絶望」の状態であったからこそ、Uターンができて、科学部の部長になろうと思えたのかもしれないと思います。

  6. 小町 より:

    望みが無い、全く望んでもいない場所にUターンしてしまっています。もりけんさんが高校へ進学する時も、ブルマの少女でした。望みが無いからブルマでいいになったこと、自分がその立場でいたら、ニコニコして校長に応えていないと思います。その高校でそれ以上の絶望に会ったと思います。楽しいことを考えていたのに、それを放棄されています。よく自分に出来ることに集中するといいますが、全く出来ないものを差し出されて、それに逆らえなかったと思いました。望んでいたものが来たら嬉しいです。望んでいないものは避けたいです。森田君は避けたいけど、走り出すしかないものを追いこまれています。自分で作る世界以外の扉に向かってしまったと思います。後からあれでよかったと思っても、その時はわかっていないです。もりけんさんの葛藤があったことも断ってしまったと思います。本当に絶望を受け入れるって、すごく大変なのに、瞬時に従っていて、心底カッコいいです。

  7. 桃有 より:

    「流れに乗る」が絶望とは全然つながらなかったです。流れに乗るは前向きな感じがします。絶望はどこにもいけない状態かもしれないです。川下りは自分で計画して望みに向かう意欲を感じます。でもUターン事件は望みをすべてたたれた状態なのだなと思いました。もしかしてたってもいられないような気持ちで階段を駆け上がっていったのかなと思います。意識と体は別々に動いてしまっているようだなと思いました。

  8. 和佳 より:

    空耳に従うような、馬鹿なことをしてるという状況だったんだと思いました。音として聞こえたことに反応してるわけでもなく それをしたって後悔するだろうというような。タイヤの川下りとも、音に反応する好奇心ともちがう…脱力して望みが絶たれてしまうような状況だったのだと思います

  9. まりん より:

    脱力感、そして絶望。。。立川駅の地下道で森田くんが感じてたことを、私はまったくわかってなかったんだと思いました。絶望を味わったとき、普通なら逃げだそうとするし、もがこうとするし、必死に抵抗します。でも、森田君はその絶望に向かって駆け込んで、グラグラきます。絶望感を否定してる自分に、森田君のような行動はとても真似できないです。ものすごく貴重な証言だと思いました。

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