昨日は、時代背景を書きましたが、その続きです。
60年代は自己変革の時代でした。それは学生運動で盛んに使われた単語でした。
70年代から自己実現と呼ばれる時代に入りました。書籍の世界でも自己実現系が店頭を飾り続けました。
ファンタジーが全盛になった今は自己拡大の時代と言えそうです。自分の夢をより大きく拡大して実現したいのです。夢を表現する系の映画・音楽も大変に多いです。
60年70年代になぜ自己拡大が無かったのかと言えば環境の変化が激しくて、夢を固定している暇もありませんでした。環境変化についていくのがやっとだったからです。夢の実現がクローズアップされる今は、環境に目がいかなくなった証拠でもあります。
いよいよ次の四半世紀に入るのですが、キーワードは自己超越だと思います。
(続く)
歴史は四半世紀で変わるという仮説のもとに考えています。
でも過去を振り返ってみれば、当たっているような気がします。
すごいのは世の中全体として、動いていくということです。
時代の切り替わりもハッキリしています。
特に日本の場合、流行はあっと言う間にすたれるからです。
今はファンタジーの時代ですが、あっという間に変わり、魔法が出てくるような映画は減少すると思われます。
時代背景が自己の方向性みたいなものを決めたり、全体がその流れになった り、25年で時代が変わっている・・も、自分一人ではそうならなそうと思いました。 次の四半世紀は自己超越の時代なのだと思 います。環境に目が行くような出来事が待っていることなのかもしれないと思いま す。
時代の変化の中にいるときは気づきにくいものだと思いました。60年代は世界に追い付こうと必死で周りの変化しか見えていなかったと思います。70年代はやっと人並みの生活に目が向きだしていたと思います。そして今は生活にゆとりが生まれて、自己拡大で環境も自分の思い通りになると夢見ていると思います。四半世紀だけでも、私もその中にいたのに価値観の変化がすごいです。遊園地はテーマパークとなり、夢の国と銘打っています。夢が形になるのを今は良しとしています。でも、流行だからこれだけあるんだと思います。飽きる時期に来てもいるんだと思います。
歴史というのは、偉い将軍とか、偉い独裁者とか、権力者が民をまとめて歴史を変えると思い込んできたと感じました。25年の周期というところに、50歳まで生きたら二回見れるし、75歳まで生きたら三回見れるかもしれないと感じました。あまりにも学校や本で習った歴史というものの固定概念に縛られてきたのだと感じました。歴史が変るときは、全体でガラリと変わるのだという仮説に、今までにない歴史の変化の仕方を感じました
60年代は、日本でも学生運動が盛り上がった次代で、「自己変革の時代」という言葉はまさにぴったりだと思います。
70年代以降は、日本経済もどんどん成長していったと思います。右肩上がりで人々の暮らしも向上していき、電化製品とか車とか、庶民が欲しいものを手に入れてきた時代で、「自己実現の時代」ともいえると思います。
それが、90年代以降は、ファンタジーに変わったのだと思います。ファンタジーは、空想の世界だと思います。人は、外側に向けて目標を達成する自己実現というより、外側に向かわかなくなった分、自己の意識が内側にどんどん拡大して、妄想といえるほど、拡大したのかもしれないと思います・・。
60年代や70年代に自己拡大がなかったのは、周囲の変化が激しすぎたのだと思います。周囲の変化が激しければ、自分はそれについていくのに精一杯になると思います。生きていくために、自分の夢とか、そんなことを言っている間もなかったのかもしれないと思います。
自己変革から、自己実現、さらに今は自己拡大の時代に変わってきてるというのは、それぞれの時代に現れた現象や出来事から考察されたことで、自分が生きてた時代を思ってもズバリその通りだと思いました。自己実現の時代に生まれて、夢を実現することに、何の疑問も持たずにきて、夢とは違う現実があっても、それは棚にあげて夢を言い続けてきたと思うからです。それどころか、そんな現実を見なくていいようにファンタジーの世界で空想や妄想に入りこんできたのかもしれません。それも全て時代背景が原因で生まれてきたとしたら、自己変革も自己実現も自己拡大も全て結果。。。そんな視点を今まで持ったこともなかったです。自己を中心にした思考が生まれてきたのは、科学の発展が止まり、環境に目がいかなくなってきたからなのだと思います。次の四半世紀には、そんな自己中心から自己超越に切り替わるという予測も、外側の時代背景の考察から出てきたもので、内面では到底気づかないし予想すらできないと思いました。
世の中全体として動いていくのも、あっという間というのも、私たちの内面の世界からではなく、外側が原因でありキーだからかもしれません
自己というのは個を指す言葉であり概念だと思います。それが世の中全体として、それだけはっきりと切り替わっているんだと思います。ここでも個は全体によって動かされていて、
その逆ではないんだと言えそうだと思います。意識と無意識のお話で指揮者の例えを書いてくださいました。
あのピッピッという指揮棒の動きにぴったり合わせているということが、
この歴史の変化にも当てはまっている。そんな印象を受けました。あと時代というのは時間の技とも言えると思います。時空が時間のルールを使って情報の現象化を行っている。時空にセットされた時限装置によって、ハッキリと現象が変わってくる。歌や映画の流行もそうやって予め決まっていたものが次々と現象化して、切り替わっていったのかもしれないです。
そしてまた今、その切り替わりの時間がやって来ているのだと思いました。
それが特に日本の場合は一瞬で起こるということも、とても面白い事実だと思います。