予想以上の実写が撮れたもうひとつの原因は、アドリブが挿入しやすい撮影環境だったと思います。
次元転送装置を作った天才・水島教授があの世のオシャレなカフェで楽しむシーンは、半分以上がアドリブでした。
これが映画を盛り上げました。
キャストたちは言いました。
「ここまでやっちゃっていいんですか?」
「はい、是非やって下さい」
みんな、台本の倍以上のセリフを入れてアドリブしました。
運命の仕組みも同じかも知れません。
半分以上のアドリブを入れることも可能かもしれません。
それが人生を楽しいものにするのではないかと思います。
映画の撮影と関係しての運命のお話が、とても面白いです。是非やってください・・というもりけんさんが、神みたいだと思いました。運命の神も、アドリブ、もっとやってよ!って思ってるかもしれません。なのに、アドリブはだめなのかな・・と思ってたところがあるかもと思いました。それより、アドリブする以前に、その大筋に不満を持ったりしてたら、アドリブするどころではないと思います。
アドリブを楽しむのはそれ以前に、その大筋の運命、映画では脚本を肯定してないとできないように思います。
台本の倍以上のセリフがはいってオッケー!ってスゴイなと思いました。なにかスカスカしたものを充実させてくみたいな…ほんとに何か…運命もそんなかんじなのかもしれないなって感じるようです。ここまでやっちゃっていいんですか?というぐらい盛り込めたってスゴイと思います。監督は何度もシュミレーションして時間もはかられてたんじゃないかなっておもうので…そこに倍以上はスゴイっておもったです。そして…それはあの世の場面だったんだなって思いました。あの世は…シナリをがあっても…あーせいこうせいがないとこ?なのかなぁと…なんだかとっても興味深いです。時空の秘密が詰まってるみたいなお話だなって感じました
アドリブというものは台本に書いてなかったのだけど実際に現場で演じてみたときにどうしても理由もなくそうするしかなかったとかそうしてみたくなったなどの何か好奇心とか無意識にとか意図的ではないものを感じました。アドリブが現場の場で生まれるとしたら台本にさらに生命がやどったような生の命を感じました。台本が素晴らしいから演じているうちに楽しくなってアドリブも飛び出す感じがして、楽しいということは生命的のように感じました。運命もアドリブが入ってより生命的になる感じがしました。
予想以上の実写が撮れたもうひとつの原因・・それは、アドリブが挿入しやすい撮影環境であったことなのですね。実際に、水島教授があの世のおしゃれなカフェで楽しむシーンでは、半分以上がアドリブで、ノリノリで盛り上がったのだと思います。
脚本で演技を抑えて書くというのは、一種の制約だと思います。そして、アドリブは、一種の解放だと思います。
二つは、逆の事柄なのかもしれないですが、これらの矛盾することが両方とも入って、予想以上の結果が生まれたのだと思います。
台本の倍以上のセリフが入ったのだと思いました。俳優さんたちも、自分の役をいろいろ考えてこられていたのだと思いました。監督はアドリブを是非やってくださいと指示していて、俳優さんたちが自分から参加できる部分があって、ますます役を演じることに全力を尽くせたのではと思いまいした。俳優さんたちの数だけ、脚本からさらに多くの生命が加わったようでもあり、もっと映画が素晴らしいものになっていくんだと思います。運命の仕組みにも、アドリブの入る余地があるなら、それを利用した方が楽しいだろうなと思いました。それが刺激しあうのは生命的だと思いました。
台本の倍以上のセリフのアドリブってすごいです(笑)ここまでやっちゃっていいのって俳優さんが聞いてくるくらいにアドリブ全開な撮影環境って、ほかには無いんじゃないかと思います。現場が生きてるんだって感じます。だからこそ俳優さんたちはもっともっと生き生きしてくるんだなって(^^)