実写部分の撮影を終えて感じたのは、元々私が計画していたものを超えたことです。
なぜこういう現象が起こったのか、とても興味があります。
ずっと考えて、ある仮説にぶつかりました。
脚本が100%ではなかったのです。
いえ、誤解のないように言いますが、脚本は脚本として完璧でした。
私はシーンが終わるとき、何度かつぶやきました。
「この脚本、誰が書いたの、素晴らしいじゃん、あ、僕か」
(爆)
何が100%でなかったかというと、キャストの演技を押さえて書いているのです。
だから本番でキャストに熱が入ると、脚本を超える現象が起こりやすかったのです。
たとえばワンネスの脚本には泣くシーンはありません。
もちろん俳優にも「泣くな」と言ってあります。
しかし本番では、泣くギリギリのところを狙っていくのです。
脚本に「泣く」と書いてあれば俳優は泣きます。
結果としては、それ以上でもそれ以下でもないような気がします。
これを運命に置き換えたらどうでしょうか?
神が書いた運命のシナリオは100%ではないのだと思います。
それを100%にするか否かで人生は大きく変わってくるような気がします。
もりけんさんが思ってた以上のものが撮れた・・というのはすごいことだと思います。自分が書いた脚本を、まったく別の人が演技するのだから、思った通りに行かないこともありそうに思います。でも、思った通りどころか、それ以上だったのだと思います。
ワンネス脚本の素晴らしさは、脚本としては100%カンペキでありながら、キャストの演技の部分を100%にしなかったことにあるんだと思いました。
いろんな人が熱く関わって動くことで、脚本はもともとの運命を超えたんだと思いました。
もりけんさんのつぶやきに、アハ!(笑)神が創った運命の脚本は、完璧なんだ・・と思いました。つながっていく縁で、どんどん超えていく運命を、思いました。「ワンネス」を通して知る情報に、すごいな・・面白いな…です。
>それを100%にするか否かで人生は大きく変わってくる
完璧なシナリオ…そしてそれを100%にするかどうかで人生がかわるというのは…なにか今まで知られてなかった運命の変更のかたちなんじゃないだろうかとおもいました。完璧を超えるというのは…今までの考え方なら(不完全から完全へというかです)考えられなかったかもしれない。とても不思議な現象だと思います…映画の最中にも神の現象がおきてるのだなと思います