映画「和」 LOVE

2014/04/06 7:28 AM

  
 LOVEという単語も何に訳すかが問題でした。
 二葉亭四迷をはじめとする明治の文学者たちが「愛」と翻訳しました。
 日本にLOVEという概念はなかったのです。
 縁を大事にし、助け合って生きていた江戸時代の日本人にとって、当たり前のことだったからでしょう。
 イエスキリストは「汝の隣人を愛せよ」と言いましたが、江戸時代の人たちは言われなくてもやってきたことだと思います。
 単語が存在しないというのは素晴らしいことでもあります。
 意識の世界に出さなくても、当然のこととして内在されてきたからです。


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コメント

  1. 小町 より:

    わざわざ愛という言葉にしなくても江戸時代は人との縁をすごく大切にしてきた日本人の姿があったと思います。お醤油を切らしたからと隣に行けば貸してくれるのがごく最近までの日本の風景のひとつだったと思います。それは意識しないままだったのが江戸時代の人たちだと思います。声高に「隣人を愛せよ」はすごく戸惑います。でも、普通の袖触れ合うも多少の縁があるからと助け合うのに言葉が無くても困らなかったくらいの愛というか情けがそこにあったと思います。「愛」というとちょっと気恥ずかしいもので、日本ではあまり言えないのが多いなと思います。

  2. なんしぃ より:

    そういえば日本人同士で、愛してると言ったこともないし、言われたこともないなと感じました。外国人の同性の若い人には、I LOVE YOU を言います。話を終わらせたい時とか、またねバイバイみたいな感じで使います。若い頃 LOVE AND PEACE とかマークが流行りました。愛と平和。愛は地球を救うとか思っていました。今、愛が何かわからないことが意識に上がりました

  3. 桃有 より:

    日本人は愛していてもはっきり口に出すことは少ないかもしれないと思いました。口に出さないからと言って愛情がないわけではなく、心の奥では愛しているということよりもっと深く相手を思っているかもしれないと思いました。隣人を愛せよって言われなくてもやっていたなと思いました。改めて言葉にされると、していない気になってしまいますが、日本人はもともとしていたのだと思いました。改めていうなよって感じかもしれないと思いました。隣人を愛せよは自分が中心の外国の人向けなのだなと思いました。

  4. こはな より:

    単語が無かったってほんとに素敵なことだと思いました。そんなの当たり前過ぎるという感じがして、日本人の江戸時代のご先祖さま達は、素晴らしいって思いました。

  5. まるこ より:

    日本人の特徴がとてもよく表れていると思いました。西洋人が「愛」と呼んでいるものと分離していないから、わざわざそんな言葉を作る必要も無かったのだと思います。言語化されるということは内在されていた概念が外に出るということなんだと思いました。言葉が無いということは内在されたままなんだと思います。内在されたものを生きている方が、より「それ」を生きていると思います。はっきりと言葉で表現しないで何を考えているか分からないと西洋から批判される日本人は、より全体を生きているように感じてきます。わざわざ意識せずとも自然体のままで隣人と助け合って生きてきた日本人にとっては、「愛せよ」とか言われても「何ソレ?」というのが本来の感覚なんだと思います(笑)「愛」が外来の造語だと知ってなんだかちょっとほっとしました(笑)

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