映画「ワンネス」 愛は今ここ 2013/09/07 6:46 AM 私たちは日常を生きています。 しかし愛は日常を離れたものでしょうか? そんなはずはありません。 日常の中で愛を生きていなければなりません。 食べ物を食べるのと同じだと思います。 日常生活に同化しているとすれば、崇高なものとして持ち上げること事態がヘンです。 愛は目標ではないと思います。 愛は今ここです。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「ワンネス」 愛だけが技術から例外なのか? 映画「ワンネス」 愛の原理を知る必要がある » コメント まりん より: 2013/09/07 10:05 私は日常を生きてるし、愛も日常にあると思います。それなのに、愛とは何か?を聞かれても、「今ここ」は出てこなかったです。そして「愛は技術」も出てこなかったです。今ここも、技術も、日常そのものです。そんな日常にある愛なのに、愛を美化したり、あこがれたり、目指したり。。。そんな愛は日常もそれを生きる私も否定してるのと同じだなと思いました。愛が否定になってしまいます。「愛は今ここ」。。。それは誰もが何もかもが肯定されてます。今まで気づいてなかったすごい指摘で、とても嬉しい衝撃です。 どせい より: 2013/09/07 13:10 私たちは、「日常」を生きていると思います。 だとしたら、愛も日常を離れていなくて、「今、ここ」にいると思います。愛について、理想や目標として扱うのではなくて、「今、ここ」の愛について、語られていると思います。 そう思うと、ますます、「今、ここ」がいとおしいく、大切に思えてくるように思います。「今、ここ」に愛があるとするならば、憧れではなくて、「今、ここ」を受け入れるだけであるような気がします。 こはな より: 2013/09/07 14:08 頭の中にワンネスの主題歌が浮かびました。♪ワンネース 当たり前の生活に意味などないと思ってた 自分だけを 見てたから・・ 当たり前の生活は、日常だと思います。日常の今ここで、食べ物を食べるみたいに、愛に生きるんだと思います。 Anne より: 2013/09/07 15:58 愛とは何か特別な崇高なもののようにずっと考えていたのだなと思います。いつか愛ある人間になるとか未来に想いを託していると、今ここにある愛に気がつかなかったり否定することにもなってしまうと思いました。 愛は普通の日常の今ここにあるのだと思います。それに気がつくと、愛することも愛されることもご飯を食べるように日常の風景になるのだと思いました。 桃有 より: 2013/09/07 21:38 愛は特別なものではないのだなと思いました。食べたりというのと同じ、日常のことなのだと思いました。生きるのに必要なことなのかもしれないと思いました。毎日食べる白いご飯だったり、時に食べるお寿司だったりするのかもしれないと思いました。愛は今ここなんだと思いました。愛って意識したときは、もう目標になっているのかもしれないと思いました。日常のことだから、誰もが愛を感じることができるのだなと思いました。 まるこ より: 2013/09/07 21:48 私たちの人生は日常の連続です。もりけんさんの言葉を読ませていただいて、そこに愛がなければどこにあるのかと思いました。愛が日常に同化しているものという考え方をしたことがありません。愛は特別なもののように語られることが多いと思います。だから自分の日常とはあまり関係の無いものだと、どこかで無意識のうちに思っていたのかもしれません。でも愛は日常、愛は今ここだと考えると、途端に自分もその中に入っていていいのだと思えてきます。日本人はどちらかと言えば愛を言葉にして語ることが少ないと思います。では日本人に愛が少ないかと言えば、そんなことはないと思います。もしかしたら日本人にとっての愛はより日常に同化しているからこそ、敢えて言葉に出さないということもあるのかもしれないと思いました。それは今ここの日常に愛を生きているということにもなるのかもしれないと思いました。愛というものと同時に、日常というものをもっとよく考えてみたくもなりました。 小町 より: 2013/09/08 09:35 愛は今ここって、温かくなってきます。愛の目標が無いことにもホッとしてきます。今ここに愛があることは、日常の食事と同じなんて、元気が出てきます。愛について、もっと考えていたいです。 和佳 より: 2013/09/11 14:35 食べ物の例えが深いなとおもいました。私達は食べ物がなくてはいきていけないし…そしてそれが崇高な行為だとは言いがたいと感じさせられました。命をいただきますし どうやっても…そまつにもします。調理もすれば…偏食も美食も過食も個食も共食も…お腹すいていらいらするのも 食事後に寛容になることも 接待になることも。なんていうか…とても人間らしい、人間臭いというような行為全体がそこにあるかもしれないと考えさせられました。この授業は人間学だったのがおもいだされます。神学じゃないんですね…でもどうしてかひどく盲点をつかれてるきがします。自分は愛を目標としてお供え物のように遠くにおいて 神のことにして…なぜだか自分を外においてるかもしれないとおもったからです。何かそれでは絶対近づけないものなんだなとおもったし…愛って何?それが日常なら…って声がするというか……実は地動説ぐらいびっくりなことが書いてあるんじゃないかと思います。回ってるのは天のちからじゃない、君の踏みつけてる足元なんだよぐらいの。
私は日常を生きてるし、愛も日常にあると思います。それなのに、愛とは何か?を聞かれても、「今ここ」は出てこなかったです。そして「愛は技術」も出てこなかったです。今ここも、技術も、日常そのものです。そんな日常にある愛なのに、愛を美化したり、あこがれたり、目指したり。。。そんな愛は日常もそれを生きる私も否定してるのと同じだなと思いました。愛が否定になってしまいます。「愛は今ここ」。。。それは誰もが何もかもが肯定されてます。今まで気づいてなかったすごい指摘で、とても嬉しい衝撃です。
私たちは、「日常」を生きていると思います。
だとしたら、愛も日常を離れていなくて、「今、ここ」にいると思います。愛について、理想や目標として扱うのではなくて、「今、ここ」の愛について、語られていると思います。
そう思うと、ますます、「今、ここ」がいとおしいく、大切に思えてくるように思います。「今、ここ」に愛があるとするならば、憧れではなくて、「今、ここ」を受け入れるだけであるような気がします。
頭の中にワンネスの主題歌が浮かびました。♪ワンネース 当たり前の生活に意味などないと思ってた 自分だけを 見てたから・・ 当たり前の生活は、日常だと思います。日常の今ここで、食べ物を食べるみたいに、愛に生きるんだと思います。
愛とは何か特別な崇高なもののようにずっと考えていたのだなと思います。いつか愛ある人間になるとか未来に想いを託していると、今ここにある愛に気がつかなかったり否定することにもなってしまうと思いました。
愛は普通の日常の今ここにあるのだと思います。それに気がつくと、愛することも愛されることもご飯を食べるように日常の風景になるのだと思いました。
愛は特別なものではないのだなと思いました。食べたりというのと同じ、日常のことなのだと思いました。生きるのに必要なことなのかもしれないと思いました。毎日食べる白いご飯だったり、時に食べるお寿司だったりするのかもしれないと思いました。愛は今ここなんだと思いました。愛って意識したときは、もう目標になっているのかもしれないと思いました。日常のことだから、誰もが愛を感じることができるのだなと思いました。
私たちの人生は日常の連続です。もりけんさんの言葉を読ませていただいて、そこに愛がなければどこにあるのかと思いました。愛が日常に同化しているものという考え方をしたことがありません。愛は特別なもののように語られることが多いと思います。だから自分の日常とはあまり関係の無いものだと、どこかで無意識のうちに思っていたのかもしれません。でも愛は日常、愛は今ここだと考えると、途端に自分もその中に入っていていいのだと思えてきます。日本人はどちらかと言えば愛を言葉にして語ることが少ないと思います。では日本人に愛が少ないかと言えば、そんなことはないと思います。もしかしたら日本人にとっての愛はより日常に同化しているからこそ、敢えて言葉に出さないということもあるのかもしれないと思いました。それは今ここの日常に愛を生きているということにもなるのかもしれないと思いました。愛というものと同時に、日常というものをもっとよく考えてみたくもなりました。
愛は今ここって、温かくなってきます。愛の目標が無いことにもホッとしてきます。今ここに愛があることは、日常の食事と同じなんて、元気が出てきます。愛について、もっと考えていたいです。
食べ物の例えが深いなとおもいました。私達は食べ物がなくてはいきていけないし…そしてそれが崇高な行為だとは言いがたいと感じさせられました。命をいただきますし どうやっても…そまつにもします。調理もすれば…偏食も美食も過食も個食も共食も…お腹すいていらいらするのも 食事後に寛容になることも 接待になることも。なんていうか…とても人間らしい、人間臭いというような行為全体がそこにあるかもしれないと考えさせられました。この授業は人間学だったのがおもいだされます。神学じゃないんですね…でもどうしてかひどく盲点をつかれてるきがします。自分は愛を目標としてお供え物のように遠くにおいて 神のことにして…なぜだか自分を外においてるかもしれないとおもったからです。何かそれでは絶対近づけないものなんだなとおもったし…愛って何?それが日常なら…って声がするというか……実は地動説ぐらいびっくりなことが書いてあるんじゃないかと思います。回ってるのは天のちからじゃない、君の踏みつけてる足元なんだよぐらいの。