映画「ワンネス」 愛だけが技術から例外なのか? 2013/09/06 7:02 AM 「愛は技術か?」という問いを「愛は技術でなかったら?」という問いに変えてみます。 たとえば愛は芸術でしょうか? でも芸術はかなりの部分が技術だと思いませんか? 私は社会人になってから武蔵野美術大学の通信教育を受けましたが、やることは技術に関することばかりでした。 今は映画の関係で作詞を5個も作りましたが、作詞の世界も技術だと思いました。 こうして考えると、技術でないものが思い浮かばないのです。 もしも愛が技術でないとすれば、愛だけが技術から例外なのでしょうか? シェアしましょう ! Tweet « 映画「ワンネス」 愛も科学ですか? そんなのイヤだあ 映画「ワンネス」 愛は今ここ » コメント こはな より: 2013/09/06 12:38 朝、目からウロコが落ちました。愛だけが技術から例外ではないと思ったからです。もりけんさんの書いた例がすごくわかりやすかったです。絵を書く時、基礎を習いました。それは技術だと思います。作詞のように文章を書く時もそうでした。作文や論文とかで、書き方を習ったと思います。だから習ったことが入っていると思い・・例外ではないと思いました。 和佳 より: 2013/09/06 14:31 とっても興味深いです。昨日は理系な技術のほうがロマンだ〜っておもったのに…技術でしょうといわれるとなんだかふぬぬぬと何かが抵抗してきます。かといって愛だけが技術から例外かなていわれると…やっぱそうはいいきれないよなぁってなります。とても悶絶します。こういうのを多感な時代の休み明けの朝から神父さんと授業されてたのですね。う〜〜〜〜ってなりながら拝見しています。 まりん より: 2013/09/06 21:02 愛が技術でないとしたら?の具体的な例がとてもわかりやすいです。芸術とか、音楽の世界は、描き方や作詞の仕方など、たくさんの技術に支えられてるのはなるほどって思います。そんな視点からいろいろな分野を考えてみても、技術しか浮かばないです。愛をささやく日本語を使うのも技術です。赤ちゃんを愛するのだって、その方法を知らないとできないと思います。そんな技術に支えられて今の私がいるし、いろいろなことができるようになったのは、すべてが技術だから習得できたのだと思います。そう思うと、技術に愛を感じます。技術があって、今の私が存在できると思ったからです。なので、愛だけが技術の例外ではないと思います。 まるこ より: 2013/09/06 22:19 音楽や美術のような芸術は文系科目の代表のような存在ですが、確かに技術の部分が大きいと思います。技術を習得するという側面から考えると文系も理系もあまり違わないのかもしれません。芸術ほど愛がテーマになるものは無いと思います。その芸術が技術だとすれば、愛も技術であって、それ以外のことはなかなか思い浮かばないです。日常生活においても言葉の使い方一つで、人間関係も変わってくると思います。それも技術によって人と人との在り方が変化するということだと思います。同じように愛も技術によって変化するのかもしれないと思いました。 どせい より: 2013/09/06 22:30 お話を伺っていて、あらためて「技術」って、すごいことだと思います。芸術作品を作ることも、作詞をすることも、作曲することも、飛行機を運転することも・・みんな、「技術」だと思います。「技術」であるからこそ、誰もがそれを行使できるようになって、誰もがその恩恵にあずかれるようになったと思います。 もし、「技術」でなかったとしたら・・・芸術だって、本当にごく一部の天才のような人しかできなかったと思います。 だから、「愛」が技術でなかったとしたら、同じように、ごく一部の例外的なモノになってしまうのではないかと思います。天才的な人やごく一部の崇高な人のためだけのモノとなってしまうのではないかと思います。 小町 より: 2013/09/06 22:53 愛だけが技術になっていないなら、愛は誰にもわからなくなってくると思います。音楽も絵も音符や遠近法を覚えないと音楽にも絵にも、程遠くなってくると思います。その音楽や絵が美しいと思うのも技術の支えがあるからだと思います。美しいと感じるのも技術がわかるからだと思います。愛はみんなが感じるものだと思います。それを一部だけの人が独占することは出来ないと思います。 Anne より: 2013/09/07 01:11 もりけんさんは通信で武蔵野美術大学を受講したことがあって、やったことは技術に関することばかりだったのだと思います。映画の歌作りで作詞も作って、作詞の世界も技術だったのだと思います。 愛や芸術も感性とかがとても大事なような感じがします。だけど感性がとても豊かだったとしても、表現力が伴わなかったとしたら伝わらないのではないかと思いました。表現力は技術力でもあると思います。表現力が磨かれるには技術の向上も必要になると思います。 ジャズの即興演奏なんかも、その場の空気や雰囲気、演奏家の感性で演奏されるのだと思います。適当にやってる風にも見えますが、技術力が基盤にあるからできることなのだと思います。絵画でも同様で基礎となる技術力があるからこそ、画家の感性やアイディアが表現できるのだと思います。 愛も例外ではなく技術なんだと思いました。高嶺の花みたいに思ってきたものが、ここに降りてきたみたいな感じがします。愛も含めて技術でないものはないのかもしれないと思ったら、不思議と世界が広がるような気持ちがしました。
朝、目からウロコが落ちました。愛だけが技術から例外ではないと思ったからです。もりけんさんの書いた例がすごくわかりやすかったです。絵を書く時、基礎を習いました。それは技術だと思います。作詞のように文章を書く時もそうでした。作文や論文とかで、書き方を習ったと思います。だから習ったことが入っていると思い・・例外ではないと思いました。
とっても興味深いです。昨日は理系な技術のほうがロマンだ〜っておもったのに…技術でしょうといわれるとなんだかふぬぬぬと何かが抵抗してきます。かといって愛だけが技術から例外かなていわれると…やっぱそうはいいきれないよなぁってなります。とても悶絶します。こういうのを多感な時代の休み明けの朝から神父さんと授業されてたのですね。う〜〜〜〜ってなりながら拝見しています。
愛が技術でないとしたら?の具体的な例がとてもわかりやすいです。芸術とか、音楽の世界は、描き方や作詞の仕方など、たくさんの技術に支えられてるのはなるほどって思います。そんな視点からいろいろな分野を考えてみても、技術しか浮かばないです。愛をささやく日本語を使うのも技術です。赤ちゃんを愛するのだって、その方法を知らないとできないと思います。そんな技術に支えられて今の私がいるし、いろいろなことができるようになったのは、すべてが技術だから習得できたのだと思います。そう思うと、技術に愛を感じます。技術があって、今の私が存在できると思ったからです。なので、愛だけが技術の例外ではないと思います。
音楽や美術のような芸術は文系科目の代表のような存在ですが、確かに技術の部分が大きいと思います。技術を習得するという側面から考えると文系も理系もあまり違わないのかもしれません。芸術ほど愛がテーマになるものは無いと思います。その芸術が技術だとすれば、愛も技術であって、それ以外のことはなかなか思い浮かばないです。日常生活においても言葉の使い方一つで、人間関係も変わってくると思います。それも技術によって人と人との在り方が変化するということだと思います。同じように愛も技術によって変化するのかもしれないと思いました。
お話を伺っていて、あらためて「技術」って、すごいことだと思います。芸術作品を作ることも、作詞をすることも、作曲することも、飛行機を運転することも・・みんな、「技術」だと思います。「技術」であるからこそ、誰もがそれを行使できるようになって、誰もがその恩恵にあずかれるようになったと思います。
もし、「技術」でなかったとしたら・・・芸術だって、本当にごく一部の天才のような人しかできなかったと思います。
だから、「愛」が技術でなかったとしたら、同じように、ごく一部の例外的なモノになってしまうのではないかと思います。天才的な人やごく一部の崇高な人のためだけのモノとなってしまうのではないかと思います。
愛だけが技術になっていないなら、愛は誰にもわからなくなってくると思います。音楽も絵も音符や遠近法を覚えないと音楽にも絵にも、程遠くなってくると思います。その音楽や絵が美しいと思うのも技術の支えがあるからだと思います。美しいと感じるのも技術がわかるからだと思います。愛はみんなが感じるものだと思います。それを一部だけの人が独占することは出来ないと思います。
もりけんさんは通信で武蔵野美術大学を受講したことがあって、やったことは技術に関することばかりだったのだと思います。映画の歌作りで作詞も作って、作詞の世界も技術だったのだと思います。
愛や芸術も感性とかがとても大事なような感じがします。だけど感性がとても豊かだったとしても、表現力が伴わなかったとしたら伝わらないのではないかと思いました。表現力は技術力でもあると思います。表現力が磨かれるには技術の向上も必要になると思います。
ジャズの即興演奏なんかも、その場の空気や雰囲気、演奏家の感性で演奏されるのだと思います。適当にやってる風にも見えますが、技術力が基盤にあるからできることなのだと思います。絵画でも同様で基礎となる技術力があるからこそ、画家の感性やアイディアが表現できるのだと思います。
愛も例外ではなく技術なんだと思いました。高嶺の花みたいに思ってきたものが、ここに降りてきたみたいな感じがします。愛も含めて技術でないものはないのかもしれないと思ったら、不思議と世界が広がるような気持ちがしました。