ここで簡単なまとめと私の意見を書きたいと思います。
生徒会長落選もブルマの少女も、私にとっては外側の出来事です。
「森田さんが引き寄せた」という人がいるかも知れませんが、大差での落選を誰が好んで引き寄せるでしょうか。
無意識に引き寄せたというかも知れませんが、それは今回、議論の対象外です。
さて、生徒会長になっていたらどうでしょう。
私はブルマの少女に反応できたでしょうか?
私は当時、村に住んでいました。
トップの高校に受かれば、村中の話題になれました。
そういう意味では「個」として生きるのが意外に難しいです。
村では「個」よりも「世間の目」です。
「栄さん(父の名前)の息子は生徒会長戦に大差で敗れたんだって」
この情報が村を駆けめぐり、私は自由になれたのです(笑)。
人は、外側で決まる・・・こう思えたのは中学生の時でした。
どうせ僕は人望のないヤツです、ブルマで選んで何がまずい?(笑)。
選択するバロメータは、そのときの気分。
でも、それを「選択」とは言いませんよね。
流される・・と言います(笑)。
中学生のときにもうすでに人は外側で決まると思えていたのだと思いました。私は結果として生きていると感じ、そのように生きている人はもりけんさんしかいないと感じました。トップの高校に楽々合格できる成績でありながら、3つもランクを落とせたのは自由というものが周りが自分を自由にしてくれる感じを森田君の行動から感じました。個の自由はなくて全体が個を自由にさせてくれる感じがしました。もりけんさんは自由から逃げていないと感じました。むしろ自由にしてくれたまわりに自由になれたと感じることができたように思い、視点が普通の価値観とは違うように感じました。やはり根源的なことに問いを持っていたように感じました
世間の目から外れて、逆にフリーに感じたことに、爽快な感じがしました。また書きたいと思います。
進学というと…どこにいくの?っていわれて…どっか学校を選択しないといけないところがあるとおもってたんですが…森田さんの場合はもともと成績もよくてほぼトップ校だろうと…当確だろうとおもわれてたなかでの…学校めぐり…それはまったく「選択」でもないし、学校はなにかの「選択肢」でもなかったんだなって考えさせられました。村では「個」をもって生きるのが非常にむずかしいのだとおもいます。○○さんちの息子さん…というのは…村のお話はなにか私達の祖母たちの…日本の原風景をおもうところがありました。世間様の目というのは今も付いて回るけど、村はもっともっとそうだったんじゃないかなっておもったからです。なにか…そこにほんとに「個」は出てきようがないなって それは私が考える以上にものすごくそうなんじゃないかって…うまくいえないけどそう思いました。そして森田さんは外側で決まるんだなって感じられてたのが中学生時代だったのだなと思いました。ブルマの少女がでてきたときも個がなにかを選択したとかまったくないのだなと思いました。言葉をそのまま書かせていただくと…流されたのだなと思います。個がない人でないと起こらないことだったのだなと感じてます。すると私には世間に対して対向するところがありコレが改革派なのだなと感じたり…村のお話はなんだかまだ見えざる生まれ変わりの村のお話を同時に伺ってるような気持ちがします。とても大事なお話だなって感じます。
当時の森田君の外側がぜんぜん見えていなかったと思いました。森田君の内側ばかりを見ていたような気がします。一連の出来事から森田君は「外側で決まる」と思ったのだと思います。この視点の転換は容易ではないと思います。もし森田君の外側が見えていれば、生徒会選挙での敗北とブルマでの進路決定が何らかの形で結びついたような気がします。実際はその結節にまったく気が付きませんでした。「敗北の情報が村中を駆け巡って自由になれた」にすごく考えさせられました。一般的には敗北は負で、悪と受け取られることが多いと思います。でも敗北が森田君を「選択」からも自由にさせたのだと思いました。大人になった森田君の「ハンドルを手放せ」にも繋がる出来事ではないかと思いました。自分と外側との関係性の認識が中学時代に既に起こっていて、その後のもりけんさんの人生に大きく影響したのだと思いました。一言で言えば「流される人生」ですが、人は流されることにすごく抵抗するものだと思います。容易なことではないと思いました。
ブルマで選んで何がまずい?、いいな、と。(笑)軽くなる。。(爆)10代以下の女の子から、上限なくモテモテのもりけんさんに、本音トークで、はっきりキッパリ言える、が、あるのかな、と。「そうです。それが何か?」に、アハ!、もりけんさんだけは、いつだって変わらない、と思いました。^^
成績優秀なもりけんさんは、村の話題のになっていたのだと思いました。今で言えば、芸能人のような感じかなと思いました。周りの目が、個人の自由を制限していたのかなと思いました。そんな中で、ある意味、世間の期待を裏切って、生徒会長を大差で落選してしまったのだと思いました。周りからの期待が大きかった分、大差での落選時はショックがすごかったのだと思いました。でも、その事をキッカケに、前よりは自由にふるまえるようになったのだと思いました。そんな経験から、人生は外側で決まると感じられたのかなと思いました。周りの期待通りに生徒会長に当選していたら、周りの期待通りにトップの高校にも行っていたのかもしれないと思いました。生徒会長に成ろうが無かろうが、流される人生だとはおもいますが、それに中学生で気づいたことは、すごいと思いました。
生徒会長選に大差で敗れることを望んだわけではないと思います。だからその時はショックだったんだと思います。でもそのことがあったから、前に書かれてたように、科学部の部長になれたり、高校を選ぶときも、ランクに関係なく、ブルマの女の子との出会いを大事にできたんだと思います。世間の目は世間の期待とか夢ともいえると思いました。そういうのがなくなって、森田君は自由になったんだと思います。森田君自身にも、将来の夢とかが無かったから、偏差値を無視できたみたいに思います。偏差値は過去の情報で、ブルマの少女は今の出会いだと思います。「流される」というのは、今を大事にすることなんだと思いました。
世間の目はとても強いと思います。わたしはどこへ行っても変わらないのに、その時の世間体によってわたしを見る目が変わります。それで行動がのびのびになったり窮屈になったりします。生徒会長選は学校内での出来事ですが、そこで終わらず情報となり、村でのしばりから自由になるほどだったのだと思います。そして選択も何もなく流れにはいったのだと思います。海で流されかけたことがあるんですが、その時に足の下方に見えた流れはすごかったです。時空の流れは目に見えないけれど、見えたならあの流れそのものなんじゃないかなと思いました。