映画「生まれ変わりの村」・・データに対して上から目線の人たちがとても多かった

2015/02/06 7:35 AM

  
「神との対話」の中で神は続けます。
「前世について驚くほど詳しく昔の出来事を説明している人たちもいる。そういうデータを見れば、その人たちが研究者や愛する人たちをだますために話をでっちあげたとは思えないだろうに」
 はい、生まれ変わりの村の本を出したとき、「うさんくさい」という批判を沢山もらいました。
 でっち上げとは少し違いますが、「生まれ変わりの村の人たちの固定概念がそうさせるんだ」と言う人もいました。
 中には「生まれ変わりの村の人たちはレベルが低いんだ」というのもありました。
 データに対して上から目線の人たちがとても多かったのです。


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コメント

  1. なんしぃ より:

    死んでどうなるかということは、実際に体験した人の証言はとても大切だと感じました。それが、たとえ自分の思い描いていたあの世と違っていたとしても、証言者がいる限り、そのデータは切り捨ててはいけないと感じています。あの世に裁きがなかったこと、この世は学びのためにあるわけではなかったこと、が証言から得られたことだと感じました。そのことが生きる原動力になっていると思います。データはとても大切だと感じ、自分もデータなんだと、自分も証言者の立場でいたいと感じています。証言者の方々は、命を与えてくださったのだと感じています。データは命だと感じました

  2. まりん より:

    データを重視してる神は、私たちがデータより自分の感覚を重視してるのを見抜いてるのだと思いました。自分の感覚をこえた情報や価値観がガラガラ崩れるような情報は守りに入ってしまうのは、それだけデータのすごさを無意識では感じてるからなのかもしれません。生まれ変わりの村に対しての反応も、そのデータにものすごく衝撃を受けてるのかもしれないと思いました。

  3. こはな より:

    この神の言葉にもりけんさんは同感なのだと思いました。ほんとにそうです・・データに対して、上から目線の人が多かったのですと、この神に話しかけてるみたいだと思いました。でも、昨日の書き込みにあったとおり、データを知りたくないのかもしれないと思ったのだと思いました。

  4. まるこ より:

    生死の仕組みがどうなっているのか知らない、分からない。そう思っていたら「生まれ変わり」のデータに対して少なくとも上から目線にはならないように思いました。上から目線になるのは、知らない、分からないということに蓋をしたい、認めたくないからなのかもしれないと思いました。それは、自分の世界で着地している状態から自分以外によって成り立つ世界に浮遊する恐れの裏返しのようにも思えます。

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