「神との対話」の中で神が言った一説をもう一度載せます。
「前世について驚くほど詳しく昔の出来事を説明している人たちもいる。そういうデータを見れば、その人たちが研究者や愛する人たちをだますために話をでっちあげたとは思えないだろうに」
私の調査では、裁きやカルマはありませんでした。
しかしこれを受け入れられる人は非常に少なかったです。
スピリチュアル系の大半がカルマの考え方を持っていることも原因だと思います。
人生はカルマを解消するための学びの場だと考えているのです。
それはあたかも神の代弁者のようでした。
だから「神との対話」の神は、すごいです。
自分の固定概念や、宗教で言われてきたことよりも、データを大事にしろと言っているのですから。
この神は、宗教より、自分の固定概念より、データを大事にしろ・・と言っているのだと思います。神はまるでデータを話すひとを思っているみたいです。もりけんさんの調査では、裁きもカルマもないです。これはデータだと思います。
調査では裁きもカルマもなかった、そして、本の神もデータを大切にしろと伝えてきている、西洋も東洋も同じデータを感じました。国が違っても、データを見ることの重要性を伝えてきている、と思いました。神はデータを重要視している感じがして、理系であり、なにかを探究していると思いました。答えがあって教えている神ではなかったと思いました
まるで神の代弁者のよう・・という視点がありませんでした。でもほんとうにそのとおりだと思います。だから上から目線にもなるのだと思いました。でもこの対話の神は上から目線どころか、神である自分を見ろとも言わずデータを重要視しています。これまでの宗教の神とは全く真逆な神だと思います。
裁きやカルマがないのは、これまで土台にあった成長や学びのための人生という価値観が根底から崩れてしまうことで、とても受け容れられなかったのだと思います。けれど、神自身がデータを見ろと。そのデータでしか神への固定観念が変わることはないのだと思います。データを受け容れられないほど、データに衝撃を受けてる人たちがとても多かったのかもしれません。