映画「生まれ変わりの村」・・もしかすると人間は、データを見たくないのかも知れません

2015/02/05 7:29 AM

  
「神との対話」の本の中で神は輪廻についてこう言っていましたね。
「過去世の経験について、充分に信頼できる情報源からの報告がたくさんあるではないか。驚くほど詳しく昔の出来事を説明しているひとたちもいる」
 もしかすると人間は、データを見たくないのかも知れません。
 なぜならデータは自分以外のものだからです。
 私は理科系でしたので学生の時に言われました。
「データの話ばっかりしないで、もっと自分の感覚を大事にしたら?」
(笑)


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コメント

  1. まりん より:

    データばかり重視しないで自分の感覚を大事にしたら?と言われたこと、ずっと覚えているのは、とても衝撃だったからかもしれません。なんでデータより自分の感覚なの?って。その学生と私は同じです。もりけんさんに出会ってデータという視点を知って、自分の感覚はガラガラ崩れました。自分の感覚がデータを崩すことはないです。データは神についてのデータだからだと思います。

  2. なんしぃ より:

    理科系の人は自分以外を大事にしているのだと思いました、なにか優しいと感じました。自分のことに視点が向いていないと感じました。そこがクールでかっこいいところかもしれないと感じました。人間はデータを見たくないのかもしれないという仮説と、自由から逃避していることが何か似ている感じがしました。データと自由は人間が見たくない、逃避したい真実なのかもしれないと感じてきました

  3. こはな より:

    もりけんさんは学生時代からずっと、データばかりを見ていたのだと思いました。この「神との対話」で、神が話していることからも、人間てデータを見たくないのかもしれない姿が浮かんできたもりけんさんなのだと思いました。自分以外のものに興味がないとデータにも見向きもしないのかもしれないと思います。

  4. まるこ より:

    そうかもしれないなと思いました。データという外側の情報を見なければ、極論この宇宙全体を自分流に解釈できます。その自分流解釈が拡大して行ったのが宗教で、例えば、その代表的な存在であるローマ法王は天体の運動というデータを無視した暦を世界に広めるといったこともできてしまうのかもしれないです。逆に言えば、人間のデータを見たくない願望がそういった現象を引き起こしているとも言えるのかもしれないと思いました。かく言う自分も生まれてこの方、ずーっとデータ軽視、感覚重視で生きてきていると思います。

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