「神との対話」の続きです。
神は言いました。
「あなたがたは自分が審判をしたがるから、わたしもそうにちがいないと考える」
神は、人間だけが審判をしたがると書きました。
「学び」もおなじ部類だと書きました。
ひとつのせまい価値観で体験を斬っているからです。
体験には360度の側面があるはずです。
それを一方からしか評価しないのが「人生の学び」です。
人生は学びだと言っている限り、つまらない人生になっていくはずです。
「神との対話」の続きです。
神は言いました。
「あなたがたは自分が審判をしたがるから、わたしもそうにちがいないと考える」
神は、人間だけが審判をしたがると書きました。
審判は学校の通信簿だと書きました。
だとすれば「学び」もおなじ部類です。
人生は学びだという人は多いですが、ひとつの価値観に基づいて「これはダメ、あれはイイ」って言っているのとおなじです。
「神との対話」の続きです。
神は言いました。
「あなたがたは自分が審判をしたがるから、わたしもそうにちがいないと考える」
神は、人間だけが審判をしたがると書きました。
それを神の世界にまで広げてしまいました。
失礼ながら言わせて下さい(毎回言っているけど(笑))
審判をするって、チッチェエです。
ひとつの価値観に基づいて「これはダメ、あれはイイ」って・・。
学校の通信簿を思い出させます。
それを神の性質にまで発展させるなんて・・。
「神との対話」の続きです。
神は言いました。
「あなたがたは自分が審判をしたがるから、わたしもそうにちがいないと考える」
神は、人間だけが審判をしたがると書きました。
それを神の世界にまで広げてしまいました。
スピリチュアル系の人で「神や宇宙を知りたければ、自分の内面を見ろ」という人がいます。
自分の中には神がいるからだ・・と言わんばかりに。
で・・。
内面の世界を外に拡大したら、神から指摘されました。
「自分の内面と同じように神や宇宙を捉えないでくれ」と。
「神との対話」の続きです。
神は言いました。
「あなたがたは自分が審判をしたがるから、わたしもそうにちがいないと考える」
この神の一言は、デカいです。
自分がそうだから他の人間や、神もそうだと考える。
たいてい、そうやって生きているのだと思います。
自分の価値観を外に拡大しただけにすぎません。
でも、そうすると運は良くなるかも知れません。
なぜなら自分と同じ波動で世界を染めてしまうのですから。
そして波動の法則で共鳴現象を起こすからです。
しかし・・・
それでよいのでしょうか?