映画「ワンネス」 「私は誰?」から愛が誕生する

2013/09/29 7:56 AM

 
 このシリーズは、自分史として書いています。
 中学では生徒会長選に敗れました。
 高校では英語で「1」を取りました。
 浪人中に志望校が変わり、私は上智に入りました。
 そして一年の月曜日の朝イチに受けた授業が、全学必須の人間学という科目で神父さんが教えてくれました。
 私はこの時、人生に関わることを学んだのです。
 それが今書いている部分です。
 人類がエデンの園を出たことによる孤独です。
 これにより人類は「私は誰?」という問いを持ったはずです。
 その答えが愛なのです。
 多くの人はそうは思っていないはずです。
 愛は「相手を想うこと」とか「穏やかな心」とか…だと思います。
 全然違うのです。
 むしろその反対です。
 例えば「自分を愛で満たす」という状態は、この人間学の授業が教える愛では、あり得ません。
 上智はバチカンが作った唯一の大学です。
 それがまさか、こういう愛を教えるとは思ってもいませんでした。
 でもそれは、私の生き方を変えたのです。
 もう一度書きます。
 エデンから出た私たちは「私は誰?」という問いを持ちました。
 その結果として愛が誕生するのです。


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コメント

  1. こはな より:

    もりけんさんが大学で学んだ愛の基本が書かれているのだと思いました。人生に関わる重要なこと、もりけんさんの自分史に刻まれている大事なことを今聞いていると思いました。「私は誰」?から愛が生まれる・・授業で学ばれたことが出ている言葉なのだと思います。

  2. どせい より:

    「私は誰?」という問いは、他人と差異があることによって発生する問いだと思います。同一である、あるいは同一と感じている間は、このような問いは発生してこなかったと思います。
    他者との「違い」があることを知ったがゆえに、この問いが生まれたと思います。「私は誰?」という問いは、個人的なレベルで発している問いではなく、人類が等しくもつはずの問いだと思います。だから、これに対する答えも、人類に等しく共通するものなのかもしれないです。
    この結果として、「愛」が誕生するのだと思います。だから、ここでいう「愛」は、個人的なものではないのだと思います。「自分を愛で満たす」とか、そういうのとは、むしろ反対なのだと思います

  3. 和佳 より:

    私は生徒会長選にでたこともないし 志望をさげたこともないし 英語もやってました。私のたどってきたルートではけして出会えないもののお話をきいてるのだなと思います。私はやっぱり愛を相手を思うことや穏やかなこころと考えてると思います。それは…英語を1にしない自分史だなと思います。だから森田さんのお話は…なんかすごいなとおもいました。まさかキリスト教から…森田さんの感じる愛のことがでてくるなんて…すごく思いもよらないです。キリスト教がいうところの愛って…思うこと穏やかさのさいたるものかとおもってたのです。私は誰という方たちの集まりだったから、その結果としての愛のお話があるのだなと思いました。…私はエデンから出た話というのを…なんだか懲罰的に考えてたです。でもなにかまったく違うのかもしれないと微妙な予感してます

  4. 小町 より:

    上智で愛を教えると聞けば、真っ先に神の愛になるだろうと思っていました。理想的な愛は自分的にそんな風に生きられないしか思わなかったと思います。だから自分を愛で満たす必要も無いことだったとは、本当に180度の違いがあって、衝撃です。さすが上智でバチカンだと思いました。想像しなかった「人間学」に、感動します。もりけんさんの自分史に圧倒されて、私の人生の転機とは全然違っています。だけど「私は誰?」から始まる愛は少しわかる気がしてきます。自分がいる存在することでしか、世界を見れないし感じないし触れないと思います。愛がすごく深いものだと思ってきます。エデンにいるとわからなかったと思いました。

  5. まるこ より:

    人類は自然から分離することによって個を獲得すると同時に、もう二度と自然には戻れない普遍的な孤独を得たのだと思います。そしてその孤独は同時に「私は誰?」という問いを産んだのだと思います。「私は誰?」という問いは人類にとって宿命的である孤独の解消が原動力となって存在するのだと思います。そしてその孤独の解消こそが愛であり、「私」を孤独から救済することこそが愛の目的なのだと思います。今まで言われてきた愛は「あなた」が目的だったと思います。でもまったく違うのだと思いました。「私」を救うのが愛であり、それ以外の何ものでもないのだと思いました。キリスト教の教える愛のイメージも「あなた」が目的だと思っていました。でも上智の人間学の授業では「私」を救うことが愛の目的であると教えられたのだと思います。ほんとうにすごい授業だと思います。「私は誰?」という問いと愛がこのように繋がっているとは考えたことも無かったです。

  6. まりん より:

    もりけんさんの人生にものすごく影響を与えた上智の人間学の授業をこうして共有してくださって、とっても嬉しいです。愛とは何か?から、今まで考えもしなかった愛について、毎日とても衝撃を受け続けてます。個として生まれた私は、生まれながらに孤独とは切り離せないです。その孤独を解消するために愛が生まれたとしたら、その愛は自分を癒すためだけです。そんな個としての私が個を感じ孤独を痛感するほどに、私は誰?という問いが生まれてくるって、本当にその通りだと思いました。その問いは、自分のためであり、自分の孤独を解消するためです。でも、その問いの答えが愛につながるとは思いも寄らなかったです。今まで愛とは何か?を考えるとき、ずっと外を探しまわってたんだと思います。自分以外の何かや誰かのためのものだと思ってきたからです。でも、愛はバリバリ自分のためであり、自分の孤独の解消のためであり、私は誰?という私のためだけの問いの答えなのだと思いました。でも、それはどれもが個としての私に共通する普遍的なもので、愛も孤独も私は誰?も、すべてが普遍的なものなのだと思います。利己的であると同時に、普遍的なものだからこそ、こうしていっしょに議論できるんだって思いました。

  7. みっく より:

    上智で月曜朝一に教えてもらった愛は、高2の時にもりけんさんが突然持った、根源的な問いにかかわっていたんだと思います。それはすごい衝撃だったんだと思います。「私は誰?」の問いの結果が愛・・難しいですが、今まで自分が思っていた愛は、すごく見せかけだけみたいに感じました。また、ほんとは人間皆が持ってるはずの「私は誰?」の問いは、普段は意識せず、忘れてる人がほとんどかもと思います。だとすれば、本当の愛も忘れられてしまってるかもと思います。上智で教えてもらった愛のお話をこうしてうかがえるのがうれしいです。

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