映画「ワンネス」 ナンカ変?

2013/08/30 6:43 AM

 
 というわけで「神様、あなたのことを知りたい」という高校生活が始まりました。
 夢や希望は無くなりました。
 にも関わらず、バッチリと勉強だけはしている…というのはナンカ変ですよね(笑)。
 で、神への問いに関係ないような勉強はやめたのです。
 白羽の矢が立ったのは英語でした。
 英語に神への問いがあるとは、どうしても思えなかったのです。
 それで本すら開くのをやめて、成績はとういう「1」になりました。
 これが自慢でした。
「神様、僕はこれほど神様のことを思っているのです」。
 ナンカ変?(笑)


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コメント

  1. みっく より:

    英語の本すら開かないこともすごいし、1をとるにはテストだって少しでも書いたら合ってしまいそうで、書かないか、わざと間違うかしないと取れない気がします。本当に徹底して英語を斬ったのだと思います。それも、自分の好みとか、要不要でなく、神への問いに関係がない・・ということで、斬ったのだと思います。その理由は周囲には理解してもらいにくかったのではないかと思います。先生にすれば本ぐらい開いて・・と思ったかもしれません。それで森田君は、神への問いに関係ない勉強することへの「ナンカ変」をそのままにせず、その感覚を大事にして勉強をしなかったんだと思います。神への問いがほんとにメチャクチャ強かったのを思います。

  2. こはな より:

    森田君(もりけんさん)の、神様への強い気持ちを感じました。誰もほかにはいないと思います。だからめっちゃカッコいいと思いました。森田君自身も、自分でこの「1」が自慢だったのも、本当にカッコいいです。神様に森田君の気持ちを態度で知らしめている感じがすごいカッコいいと思います。

  3. 和佳 より:

    森田さんの高校生活は 神への問が中心だったのだなと思いました。英語をされたなかったのは…夢や希望をもって勉強してるのでもないし 学ぶとか教えられるというスタンスも打っちゃってるような気がします。私にはできないししてきたことがないです。私は勉強は役に立ったり、積み重ねたり教わったりするものだと思ってるところがあります。あるいみ常に何かいいことないかなで……座って受け身のふり(生徒として)でありながら発信してることがギラギラかもしれないです。そして…もしクラスにいたら最近 本も開かなくなったクラスメートを…なんか変って思うかもしれません。でも神探求にとても大事なことであったのだとおぼろげに感じました。そしてもしかしてそのクラスメートはとても爽やかにキラキラかもしれないです。自分には問というものがとても少なくて無いぐらいで…夢や希望を持ってるし、答えに関係した勉強にはげんでるのは今も変わらずだと思います。とても微妙なお話だと思います。

  4. どせい より:

    なぜ「英語」を勉強するのかといえば、漠然と将来のためとか、外国に行って外国人と話したりするときに役に立つかもしれないとか、高校生であれば受験に出るから・・とか、そういう思いがあると思います。だから、なぜ英語を勉強するのかというのは、「自分」にとって役に立つかどうかと、視点が内向きになっているのではないかと思います。

    高校生のときの森田君は、神に対して「あなたのことを知りたい」という気持ちをもたれましたが、そういう外向きの視点を維持していくためには、自分が内向きになりそうになる部分を、切り捨てる覚悟が必要だったのではないかと思います。切り捨てるためには、英語の教科書すら開かないという・・・不退転の決意をされたのだと思います。すごい覚悟で。・・・しかも、これは、高校2年生のときだったのですね。。

  5. 小町 より:

    森田君の神への問いかけが、徹底しています。神様以外はいらないが英語を勉強しないことになっています。普通は神を思えば、いい子を目指してしまいます。それは周囲に迎合しているようで、実は自分だけになっていると思います。森田君の神様が大好きは、そのことから180度反対のことだと思います。神が大事だから、神に関係したものは、ものすごく入ってきていると思います。もりけんさんの記憶力はとてもすごいです。だから英語を勉強すれば、かなりいい成績のはずだと思います。でも、しなかったと思います。それを後悔だってしていないです。逆に今でも自慢だと思います。ナンカ変と問いかけられて、変なことをしているのは、私だったという気持ちです。世間並みにしていようとある程度は勉強してしたと思います。この世間並みがすごくネックだと思います。自分を守っています。将来と言われるとそうだと思ってしまう自分がいます。森田君は神との時間を優先していると思います。

  6. まるこ より:

    神と遭遇された高校二年生のもりけんさんはそれだけマジだったのだと思いました。神への問いに関係のない科目は勉強しない。つまり、神様の性質を知るのために関係のないことには関心も持たない、エネルギーも注がない、時間も使わないということなのだと思います。そんな視点を持って生きる学生は恐らく後にも先にも、もりけんさん以外にはいないのではないかと思います。神様のことを知ることに捧げられた人生は、このようにして高校生のもりけんさんの学習態度や成績にも表れていたのだと思いました。

  7. まりん より:

    お話伺うたびに、森田くんの神への問いがどれほど半端なかったかに、衝撃を受け続けてます。まっさきに、ものすごいリスクをはって、神に斬り込んでるとき、森田君は高校2年生です。1番夢や希望が問われ、成績やテストで評価されるときです。そんな中で英語を勉強しないことが、どれほどのことか、想像すらできてないと思います。なぜなら私はそれをやったことがないからです。神への問いをもつ人がほかにいたとしても、森田君みたいに、自らまっさきに、ものすごいリスクで神に斬りこんでいく人はいないです。神に対してギバーそのものだって思います。私はまずは神に何かを求めてると思うし、テイカーになってると思います。森田君の神への問いに向かう姿を知ることは、そんな自分にハッとさせられます。

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