映画「ワンネス」 なぜ英語の勉強をやめたか

2013/08/31 7:46 AM

 
 昨日は「ナンカ変?」というふざけたタイトルがいけなかったのか、間違って取られたレスも多かったので、もう一度書くことにしました。
 本人の森田君にとっては、他の人にうまく説明できるような理由はありませんでした。だって普通、与えられたことをやるのが学業でしょう。でも英語だけは「神への問い」に関係ないと思って一切の拒否をしたのです。そのために通信簿は「1」になってしまいました。
 それでも森田君は、ここで死守せねば、神に問う資格はないと思っていたのです。
 こっちもリスク張ってんだぞ…みたいな。
 当然の事ながら神に祈ったこともありません。それって神を利用するってことじゃないですか…。いいとこ取りみたいな…。
 そして英語を拒否した結果が、受けた大学を全部落ちるということになりました。
 何の得にもなりませんでした。


シェアしましょう !



コメント

  1. こはな より:

    神への問いを死守したことが、英語の1であり、大学に落ちた結果に現れているのだと思います。森田君には神への問いが降りた時から、それを守るために大変な事をしていたのだと思いました。当たり前にしなきゃいけない科目をしないって、とても大変なことだと思います。多分誰も与えられたことをやるのが当然の良いことだと思っていると思います。だけど森田君はそういう判断は一切していないです。神へ問う資格がなくなる・・とか、神への問いを持つ自分はやってはいけないものだったのだと思います。その気持ちの目に見えて出てきたものが森田君の1であり、大学に全て落ちた事で、自慢なのだと思います。神に祈らないのも、ずっとそうなのだと思います。

  2. どせい より:

    自分が高校生のときを思えば、与えられたことをやるのが学業で、「英語」という科目があれば、疑問を持つことなく、「英語」を学習したと思います。それは、自分の置かれた、「高校」という環境に波長を合わせてしまっていたのではないかと思います。

    ですが、森田君は、英語は、「神への問い」に関係ないと思って、教科書を開くのさえ拒否して、遮断して、断ち切られたのだと思います。そして、その結果、英語の教師は、森田君の通信簿を「1」にしたと思います。
    すごい・・です。本当によく、このようなことをやられたと思います。ここを死守しなければ、神に問う資格はないと思って、死守されたのだと思います。森田君は、「高校」に波長を合わせているというより、もっと根源である「神を知りたい」ということに対して、波長を合わせ続けていたのではないかと・・・思います。
    その結果、英語では「1」となり、受けた大学を全部落ちることになったのだと思います。

  3. みっく より:

    英語を必死で勉強する人は山ほどいると思いますが、必死で1を取に行く人は後にも先にも森田君だけだと思います。三次元の目に見える部分だけで考えると、どう考えてもそれをして得することはなく、出来高で言えば損をする方向へ向かったんだと思います。でも、神への問いを持ち、神を知りたいことに人生を捧げると決めた森田君にとって、それに関係のない英語はいくら三次元の世界で役に立つものであっても、このときに勉強することはできなかったんだと思います。与えられたことをするのが学業であることとか、受験には英語が必要とか、そういうことで考えると、高校時代に英語を勉強することは、良いこと・・となるのではないかと思います。そんな価値観の中で、英語を必死で拒否することは、三次元の善悪の価値観を超えていると思います。意識はただ神へと向いてたんだと思います。本当にすごいことだと思います。

  4. まりん より:

    「ここで死守せねば、神に問う資格はない」という言葉が胸に突き刺さります。神に問う資格が自分にあるかどうか?そんな問いを持ったことないからです。自分の視点でしか神を見てないからだと思いました。神に祈ることもそうです。まずは自分ありきの世界です。けれど、森田君は、はじめに神ありきで、神の視点から見て、考えて、感じて、自問自答してます。神に問う資格があるか?からの英語の拒否は、ものすごいリスクです。現実問題としての学校や教育や受験に目を向けたら、絶対にできないし、個の利益を自分から放棄して、降りてます。森田君は、自分からものすごいリスクをはって、神にすべてのエネルギーを注いでるって思います。それが表に現れた「1」は、神への問いの結晶だと思います。

  5. おかだ より:

    学業で与えられたことを勉強されてきて、しかし高校二年生の時に物理方程式と出会われて、神を問われることとは関係は英語を勉強されることは、一切拒否をされましたと思います。そのために森田君の英語の成績は「1」になりましたと思います。しかし、「1」を取られることで、ここを死守しなければ、神様のことを知りたいと問われますことで、神に問う資格はないことを思われて、とても大きなリスクを張られましたと思います。英語を勉強されることを拒否されましたことで、受けられた大学は、全て落ちられたと思います。神を問われることで、英語の本を開かれることもされることなく、神へと祈られて何かを求められることはなく、神を問われることで、一切英語を勉強することを拒否されて、すごいリスクを張って神を問われていますと思います。

  6. 桃有 より:

    対等というのはものすごく厳しいことなのだなと思いました。相手が人でも、対応になるにはものすごく大変だと思いました。神が相手となると何をしたいいのかわからない感じだなと思いました。神に祈るというのは利用することなんだなと思いました。自分より上の存在にするというのは、自分はまけたふりして自分に都合のいいように相手を動かそうとしているのかもしれないと思いました。「神への問い」のため神と対等になるためのリスクをはられようとされたのだと思いました。英語だけは神への問いと関係ないと思われたんだと思いました。「英語」という教科が関係ないと思われた自分の考えも徹底されていると思いました。大人なら「何が役に立つかわからないから」とアドバイスしてしまいそうですが、高校生でそのことを通すというのは並大抵のことではなかったと感じました。

  7. 和佳 より:

    なぜ英語の勉強をやめたのか、そこにうまく説明できるような理由はなかったのだなと思いました。説明できない…ものすごいうなってて…自分は説明を欲するし英語をやってるし…ほんとにどうして英語が切られたのって思うとこやっぱあります。何からだって万物を作った神につがなるというふうにはならないところが、森田少年のなにかとても繊細で鋭敏なところだったんではないかと考えます。…森田さんの問は「この物理の方程式はルールだ。交通ルールは人間が作ったから存在する。では物理のルールをつくった存在は?そして存在はどういうルールで動いているんだ?」…この問がとても大事なものに思えて読み返しています。しかし…やっぱり…眼の前にあったら英語をやってしまう自分とおもいます。しかも受験の時は願掛けもして神様にお願いもしました。やっぱなにか…わかってるとは言えないし(なんかもっと切実できれいなものを伺ってるように思います)…隔たりのむこうを…そこをもすこし考え続けようと思います。

  8. まんじゅう より:

    物理の方程式で、森田君が出会った神、今まで偶然でできていたと思っていた世界が変わった瞬間、どれほど衝撃だったんだろう‥と。ノートの隅に書いた「神よ、あなたのことを知りたい」、いっぱいの思いがぐるぐるして、でも、森田さんをいつまでも変わらずに動かして、と思いました。森田君が出会った神、(今までの上から目線の神しか知らなくて・・)に触れることができて、嬉しいです。

  9. 小町 より:

    目先の英語よりも「神への問い」になることを死守しようとしたと思いました。英語はコミュニケーションの言語です。だけど学校は英語が話せてこそ、コミュニケーションが成り立つと思っているし、今でも同じだと思います。森田君は神へのコミュニケーションに移行したと思いました。英語はタダの言葉でしか無いです。でも、もっと神のことを知りたいのに、英語では神に通じないと思います。森田君は神が知りたくて、英語に時間を取られたくないんだと思います。神を道具にもしたくない、森田君の神への問いは、本当にとても純粋です。「1」になってしまったことも自慢だったに、本当に衝撃です。大学受験で全部落ちてしまっても、損ばかりでも、神への問いには、一点の曇りも持っていないことに、感動しています。

  10. まるこ より:

    少し大げさかも知れませんが、日本の高校生が英語の勉強を100%拒否するというのは、大人の世界で言うと会社で業務放棄をしていると言われても仕方がないような事だと思います。それほど英語は主要な科目で、受験科目でも文系・理系を問わず英語が入っていない大学なんて滅多にないのではないかと思います。しかし森田君の「神への問い」の視点からは、どうしてもこの科目だけは勉強するわけにはいかなかったのだと思います。神を問いながら英語を勉強することは「いいとこ取り」になると強く感じられていたのだと思います。世の中には自分は神を信じないと言う人は多いかもしれません。でもそう言いながらも無意識のうちに神頼みをしている人も多いのではないかと想像します。また日常的な不平、不満なんかも裏返してみれば「いいとこ取り」の発想に根付いていると思います。たとえ意識的に神を思っていなくても、周りが全て自分の都合の良いように動いてくれると考えたりするのも「いいとこ取り」に繋がっているように思います。森田君は、神を問う限りは、ご自分もそれに見合った姿勢で臨まなければならないと強く思われ、そしてそのとおりに行動されたのだと思います。そしてその結果起こったことを、神へ問いかける資格を死守した結果として、甘受されたのだと思いました。

© 2015 森田健 All rights reserved.