「神との対話」の続きです。
神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
人間は自由が怖いからだと書きました。
カルマについては一度書いたことがありますが、さらに書きます。
スピリチュアル系の人で「カルマ」という単語を使う人がいますが、審判の世界で生きているように感じます。
カルマとか因果応報というからには、基準が存在するわけです。
審判をバリバリ肯定し、それを生き方にまで取り入れているのです。
そうしないと怖い自由から逃れられないのです。
神も言っているように、神の世界には審判はないのに、自分で審判をしてしまっているわけです。
カルマという負債が存在するにも基準がいります。神にとっては人間が何をやろうと借金もできなければ貯金もできないのに、そんな審判のない世界が怖い人間が自由から逃れるために編み出したのがカルマとか因果応報というルールなのだと思いました。自由への恐れがこれまでの人間の生き方の隅々にまで浸透して、勝手にいろんなルールを生み出し、そしてそれが私たちの無意識にまで影響を及ぼしているように感じます。