教科書の続きには次のように書いてありました。
「失敗の原因を調べ愛の意味を学ぶための第一歩は、生きることが技術であるのと同じく、愛は技術であると知ることである。どうすれば人を愛せるようになるかを学びたければ、他の技術、たとえば音楽、絵画。大工仕事、医学、工学などの技術を学ぶときと同じ道をたどらなければならない」
これが上智の全学必須の授業のスタートでした。
僕自身、グラグラきました。
愛が音楽、絵画と同列だとしても大工仕事と同じだとは…。
いえ、そんなことを言えば大工さんに申し訳ないです。
愛は、すべてと同じかも知れません。
明日、中国からトラさんが来日します。
9月19日の帰国までセミナーや観光に付き添います。
なので愛のシリーズはトラさん帰国後に再開します。
教科書の文章は、愛がほかの色々な活動と全く同じなのだということを思います。やはり、自分は、愛だけを特別視してたのだと感じます。愛の意味を学ぶためには、まずは愛は技術であると知ることなのだと思います。技術と思ってなかったから、失敗の原因を知ろうとせず、また同じことを繰り返してたのだと思います。今、愛は技術という言葉を拝見できて、なんだかはじめて愛と面と向かってる感じがします。
たとえば、絵がヘタなのはちゃんと習ってないからだと、技術のなさを意識することができますが、愛に失敗したときに、自分に愛の技術がないからだと意識したことはこれまでなかったと思います。愛の技術をちゃんと学べば、自分の周囲の人たちや物たち、また自分自身もちゃんと愛することができるのではないかと思います。
絵をうまく描けるに越したことはないけど、描けなくても生きていけると思います。でも愛無くしては生きていけないように思います。
上智の全学必須の授業はすごいと思います。その講義のお話をこうして聞かせていただけることもすごいことで、とてもうれしいです。知ってるつもりだった愛のこと、実は何も知らなかったんだ・・・と思います。
今週はセミナーがあり、明日からトラさんが来日されるのだと思います^^。
愛の意味を学ぶことで、愛は音楽、絵画、大工仕事、医学、工学などの他の技術を学ぶことと同じく学ぶことが出来ることが出来て、愛は技術でありますということを知ることになりますと思います。この愛が技術でありますことを知ることを書かれていますことを授業でお話されることで、上智の全学必須の授業が始まられましたと思います。これまでに愛を考えることで、愛が技術でありますことは、自分ももりけんさんの全学必須の授業のお話を伺わせて頂きますことで、愛は他の様々な技術と同じく技術でありますということを考えさせて頂いて、これまでにはなかったすごい機会を頂いています。愛も技術として学ばせて頂くことが出来ますと思います。 今週、セミナーが行われまして、明日、トラさんが来日をされますと思います。
音楽、絵画、大工仕事、医学、工学・・・「愛」を学ぶときも、これらと同じ道をたどらなくてはならないのですね・・。やっぱり・・すごいです。・・お話を聞いていて、やはり、自分も「愛」について、特別視してしまっていたと思います。
ですが、音楽、絵画、大工仕事、医学、工学・・・こういう分野だって、どれも崇高な面を持っているはずです。「愛」と同じだと思います。また、どれも身に着けるためには・・・「技術」として学ぶ必要があると思います。それは、どの分野でも同じことなのだと思います。「愛」も例外でないのだと思います。身に着けるためには、「技術」として学ぶ必要があるのだと思います。
愛は技術である…に驚く前に、生きることは技術であるのと同じように…のところにも驚きました。意識しないで過ごしてしまっているけど、生きることも技術なのだと思いました。音楽や絵画などは技術じゃない部分が占めているのかと思っていたら、芸術もほとんど技術だったのだと思いました。神父さんの用意された教科書はとってもすごいと思いました。
どうすれば人を愛せるようになるかを学ぼうという考えは浮かんでこないと思いました。人は学ばなくても自然に愛するようになると思っていました。なので今まで愛を調べようとは思わなかったと思いました。でもそうして何度も失敗してきたのかもしれないと思いました。愛について学ぶにはまず愛を技術であると知ることから始まるのだなと思いました。頭を殴られるような視点だなと思いました。上智の全学必須の授業は、最初からあたまがぐらぐらするような授業でスタートしたのだなと思いました。
愛とは何か?と最初に聞かれたとき、まるで自分がその答えを知ってるかのように必死に考えこんでしまいました。でも、人間学での授業の出だしの問題提起に打ちのめされました。全く知らなかったことに気づいたからです。技術は生きていく中でほんの一部だと思いこんできたけれど、逆にすべてが技術で愛もそのひとつかもしれない。。。頭の中がひっくりかえる衝撃です。生きることが技術というのも、愛が技術というのも、今までの人生でいっさい考えもしなかった情報です。まだそのすごさをわかってないと思うけれど、はじまりの問いからずっとグラグラしつづけてます。
教科書を書いた人は、愛の技術を学ぶとは書いてなかったんだと思いました。タイトルも愛は技術・・でした。愛は技術なんだと思います。だから、愛は技術だと私は知らないんだと思います。それを知ることが愛の意味を知ることなのだと思います。もうひとつは、どうすれば人を愛せるようになるのか・・が書かれていたのだと思いました。
「愛は技術」もすごくショッキングな言葉ですが、その前の「生きることが技術であるのと同じく」という言葉も、初めて耳にする言葉です。自分の記憶が間違っていなければ、今まで生きてきて「生きることは技術だ」と口にした人を見たことがありません。学校でもそんな風に習ったこともありません。生きることも技術で、愛も技術であれば、私たち人間に関することは、もう何だって技術なのだと思います。考えてみればそのとおりだと思います。朝起きて歯を磨くのも技術。ご飯を炊いて味噌汁を作って食べるのも技術。こうやってPCを打って書き込みしているのも技術。技術がなければ私たち人間の生は成り立たないのだと思います。そして愛です。ご飯の水加減や味噌汁の塩加減を間違えると朝食作りを失敗するのと同じように、愛の技術を知らなければ愛も失敗してしまうのだと思います。上智大学ではこの「愛の技術」を全学生が学ぶ機会が用意されているのだと思います。すごい大学です。20歳前後でこんなことを教えてもらえる機会に恵まれた学生さんはとても運がいいと思います。「人間学」の授業を受けて、その後の一生が変わった学生さんは、もりけんさん以外にもたくさんいらしたのではないかと思いました。
生きることが技術というのも、すごいです。人間も動物だから生きるのは自然だと思っていましたが、犬や猫の方が教えられずに、生きる術が備わっているように思えます。人間の方は教えられないと、人間の中では生きられないかもと思ってしまいました。自分だけで生きていないと思ってきます。愛もそれと同じで覚えるべきものなのかと思うと、動物より劣っている気にもなってきます。はじめから愛を身につけている人はいないかもとグラグラしてしまいます。今日からトラさんたちが来られています。トラさんセミナーが終わってから、再開してくださると思います。それが嬉しいと思いました。
技術を学ぶ時と同じ道を辿らねばならないってすごいです。技術職…なんかそういう仕事につくときと同じ手法のなにかなのかしらっておもったです。それから…考えて…人を愛するってのはとても難しいことなんだって思いました。どうしてかというと…個人的に…技術として学ぶ絵画ってなんかすごいなとおもったからです。一部の人の趣味とか得意とか魂の発露とかなんかそういうんじゃなくて、技術として…を学ぶ時は趣味もありましょうがどっか好き嫌いさておいた…食べるためみたいなの有るような気がします。伝統工芸の跡継ぎさんとかおもいだされるし。そしてそれは万人に通じる技術を望まれるしきっちり仕事をしないといけないです。それでいてサプライズもないと衰退してなくなっていっちゃうし…なにかもう愛ってなんなんだーーーー!!!となってます。