映画「ワンネス」の原作本の表紙です。
私が初めて書いた小説ですが、映画会社は大変に評価してくれました。
場面転換の歯切れが良くて、たとえばハリウッドの映画にはピッタリなのだそうです。
「そういうのを意識して書かれたでしょ」
と言われました。
「えーと、別に…」
(笑)
この小説は一冊の中で三部作に分かれています。
「記憶の技」
「時間の技」
「情報の技」
と小題が振ってあります。
この中の「時間の技」を映画化するのが「ワンネス」です。
原作では悪い大学院生が出てきます。
四次元を使って銀行に行き、金庫を開けないで大金を盗み出すというストーリーです。
これじゃあ「ワンネス」には使えません。
なので悪人から善人にキャラ替えしました。
四次元を使って南極にクリスタル・ヒーリング装置を置いてくるのです。
私が脚本も書いているから良いのですが、原作だけを提供する人間だとすれば、かなり腹が立ったかも知れません(笑)。
何しろキャラ設定が180度変わるのですから。
このキャラにはお笑い芸人を使う予定です。
マジに善行をして欲しくないからです。
善行を善行として意識するというのは、善行の押し売りになりかねないからです。
ふたりは「単に今を生きただけ」にしたいのです。
だから、お笑い芸人が良いのです。
つづく
ふたりは単に今を生きただけというところに感動して涙が出てきました。原作とキャラが変わることは最新仮説だと感じています。私はもりけんさんの好きなところは仮説をくつがえすところです。普通は自分の名誉を守りたいとかならば仮説に変化をくわえることはしないように感じます。キャラが変わるのはなぜかということもすべて公開され、映画の脚本を書いていく過程もすべてワンネスを感じて、ここまで情報をリアルタイムで公開され続ける姿に感動して自分もその情報を受けて自分を出しきりたい気持ちがあふれてきます。
自分が脚本を書いているとはいえ、原作も書いてるわけだし、キャラ設定を180度変えるのはかなり思い切ったことなのかもしれないと思いました。でも、悪人から善人には変えたけれども、マジに善行はしてほしくないのだと思います。それは、どこか違う方にそれていってしまうからかもしれないと思います。それには、お笑い芸人が良いと考えているのだと思います。良いこともさ~~っと流れていく感じがいいのではないかと思います。
マジに善行をしてほしくないのは、それをすると、善行の押し売りになるからなのだと思います。単に今を生きただけの人が、結果として良いことをするのだと思います。世のため人のため・・ではなく、自分の興味が先にあるように思います。
原作は、映画会社に、ハリウッドを意識したのではないかと思わせるほどだったんだと思います。映画を全く意識せずに書かれた小説がこのような評価を受け、実際に映画化されるというのが本当にすごいし、なんだかとてもうれしいなと思います☆
善行の押し売りって本当にそうだなって思います。気づかずについやってしまってそうです(笑)「単に今を生きただけ」の四次元を使っての実験は、めちゃめちゃ面白そうです。好奇心がめいっぱい発動してるキャラ設定だなって思います。
原作の時間の技では、悪人だったと思います。映画化にあたり、強盗ではまずいとなって、ヒーリング装置を四次元で南極に置いてくることになったと思います。だけど、善行を全面に意識してするのも、違うんだと思います。そのふたりをお笑い芸人にしてもらうことで、善行に埋没しなくなると思います。ふたりはなんとなく、ヒーリング装置が出来たから、南極にも持って行けるからと行動してしまうのかと思います。そういう面も大切なんだとすごく思ってきます。もりけんさんの小説が映画化、すごく嬉しいです。脚本も手がけられるというのも、嬉しいです。
おー…善行を意識してしまうと…たしかに善行の押し売りになる危険があります。すごく深いなと思いました。お話を伺ってて、この本で映画会社さんがほめられたところも…意識して書かれた部分ではなかったなと思いました。ふっと…この作品には意識してなにかする…という部分がもともととても少ないか無いぐらいなのではないかなと感じました。この二人は…「単に今をいきただけ」なのですね。ブログでは…過去現在未来がワンネスというお話もでてきていました。なにかとても深く感じてます
脚本では原作本では、悪人キャラは悪人キャラのままで、本のなかにはその人しかいませんが、映画化されるてときに、映画「ワンネス」の世界のひとになったみたいだと思いました。
善行を善行として意識してしてすると相手に見返りを期待してしまうのかもしれないと思いました。もし相手が感謝してくれなかったら、なんだよ。せっかくしてやったのにとか、相手のことを非難してしまうこともあるかもしれないと思いました。ただ単に今を生きただけという姿勢でやったことは、うまくいっても、もしうまくいかなくても、それをしたあとはただ気持ちがすっきりしているのかもしれないなと思いました。
「神のなせる技なり」、大好きです。
もとの原作では、大学院生は、大金を盗むために銀行に入られましたが、映画では、南極にヒーリング装置をおいてくる役に変わられて、本当に、設定が、悪人から善人へと180度変わった感じです(笑)
でも、お二人は、善行と善行として意識していない、「単に今を生きているだけ」のキャラにしたいのですね。お笑い芸人は、その俳優としてちょうど良い感じなのだと思います。
善行を意識すると押し付けのように受け取られることもあるのだなと思います。
善行を意識してしまうのはどこかに見返りも期待してしまうのかもしれないと思いました。
そんなことを意識しない今を生きてること、それを芸人さんにはやって欲しいのだなって思いました。
原作のキャラが、四次元を使って南極へクリスタルヒーリング装置を置いてきますことで、キャラを180度変えられると思います。キャラは善人へと変わられて、キャラの方を演じるのはお笑い芸人の方を考えられていると思います。それは、マジに善行をされて欲しくないためで、マジで善行をしますことで、善行の押し売りとなってしまって、しかし、この二人には、善行を意識することなく、「単に今を生きただけ」のもとで、生きていかれる姿が描かれると思います。この今を生きる二人を演じられることで、お笑い芸人さんが演じられることを考えられていると思います。
善行の押し売りをされると、たしかに息苦しくなってしまうと思いました。もっともらしいことをもっともらしい人が言うと何か胡散臭さが感じられるようにも思いました。
キレイごとだけではない角度から描くことで、浮かび上がることがあるのかと思いました。
ふたりは「単に今を生きただけ」にしたいのです。というのが、めちゃめちゃ凄くいいです。
そう、そんな風に私も生きていきたいから。