映画「和」 知らない世界で生きている

2014/01/23 7:45 AM

  
 どちらが楽しそうかって?
 そりゃあ「知らなくて当然」です。
 私たちは、ほとんど知らないと言っても良い世界に住んでいると思います。
 なのに裁きとかカルマをまことしやかに語ってきました。
 それは宗教の伝道者にも似ています。


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コメント

  1. みっく より:

    知らないことだらけの世界で生きているのに、知ってることを重要視してしまうと、生きるのがしんどくなるんだと思いました。知ってるつもりで生きるのは、この世界が知らないことだらけだということすら知らない状態に思いました。裁きもカルマも誰から言ったことをそのまま知ってるつもりになってここまで伝わってきたんだと思います。本当のところは誰も知らないのだと思います。この世界は知らないことだらけで、知らなくて当然・・答えがないというのは、何というか、縛るものが何もないのを感じました。

  2. なんしぃ より:

    知らなくて当然には宗教が存在しえないように感じました。宗教をなくそうと批判するのではなくて、知らなくて当然になれば、宗教の伝道者にもならなくて、宗教に頼らなくてもいい宗教がなくても楽しく生きることができる世界を感じました

  3. まりん より:

    知ってるつもりのことを誰かに話すことで、すでに宗教の伝道者になってるんだと、ガーンときました。カルマや裁きを広めてきたのは自分なんだって思います。裁きやカルマは楽しそうじゃないです。生まれてきてから今まで、裁きやカルマのようなことを神から教えられたわけじゃないです。神は何も教えようとはしてないんじゃないかと思います。教えたがるのは私のほうだなって思いました。知らない世界に私を存在させてくれた神にとっても失礼だなって思います。

  4. まるこ より:

    自分自身の存在も含めて、この世界のことを本当に何も知らないです。なのに「知っているつもり」でずっと生きてきていると思います。もりけんさんの「知らなくて当然」という視点に触れて初めて、「知っているつもり」が自分の骨の髄まで染み渡っていることに気が付きました。自分がいつから「知っているつもり」になったのかは分からないです。でも、いつの間にか「知っているつもり」教に入信して、知っている世界をまことしやかに生きてきました。なんて小さな世界に生きてきたのだろうって思います。

  5. どせい より:

    裁きとか、カルマとか・・・あるのかどうかも分からないのに、因果応報みたいなのを語り、しかも、それを恐れてきたと思います。知ったフリをしてしまうのは、知らない世界で生きているということすら、認識できていないと思います。生まれ変わりの村の人の証言では、「裁き」さえまったく無いということがわかりました・・。これまで生きるうえでよりどころとしていた価値観みたいなのが、実は、なかったということになると思います。どうやって生きたらいいのか分からなくなる人もでてくるかもしれないです。
    ですが、最初から無かったのだと思います。なかったことを、あたかもあることのように、まことしやかに語ってきただけだと思います。私たちは、まだほとんど知らない世界で生きているのだと思います。

  6. 小町 より:

    何も知らないし、わかっているのもほとんど無い世界だからこそ、生きているし好奇心も出てきます。この世界が開かれているのだと感じます。宗教の伝道者も知らないでいることなのに、知ったかのように言ってしまうのがカルマや裁きだと思います。悪いことをしたら罰が当たると思ってきたし、平気で言ってきました。世界は好い悪いも分けていないんだというのが、すごくいいなと思います。

  7. こはな より:

    他人事ではなくて、私も・・知ったかぶりな伝道者だったのだと思います。ほんとうは・・この世界のこと、何も知らないです。知らないで生きていると思います。

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