映画「生まれ変わりの村」主題歌 音楽は一次元なので運命のルールに近い

2014/07/06 8:40 AM

 
 昨日は、音楽はルールがキツイと書きました。
 では私たちを運ぶ運命はどうなのでしょう。
 私の感覚では相当にきつくルール化されているはずです。
 自由と呼べる領域は無いかも知れません。
 絵画は二次元の世界なので一見、ルールが無いように見えるだけだと思います。
 音楽は時間という一次元の世界だけを使うので、運命の規則に近くなるのかも知れません。


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コメント

  1. 小町 より:

    音楽が一次元で、絵が二次元、次元が上がるほど自由度が増している気がするけれど、豊かな表現を直接感じるのは音楽に軍配が上がりそうです。楽しき分野悲しい気分、昂揚感などはその場に引き込まれるのが音楽のほうだと思ってきます。一次元のものは時間もそうだと思います。運命もその線上でしか動かないと思います。奏でられる音の動きがルール通りじゃないと音楽とは呼べないと思います。音符はそれを奏でる人で微妙な違いがあるだけで、非常に運命に近いものがあると思ってきます。

  2. 和佳 より:

    音楽はルールがきついのだなと思いました。森田さんの間隔では私達を運ぶ運命はきつくルール化されてるはずなのだなと思いました。そういうとき自由領域はないのだとおもいました。絵画は二次元で…二次元はちょっとルールが見えにくいのだなと思いました。しかし次元がさがった一次元では ルールが見えやすくなるのだと思いました。

  3. なんしぃ より:

    音楽は一次元で、運命の規則に近くなるとしたら、次元を落とせば運命の規則に近づいていく感じがしました。次元が高いと運命の規則から自由になる感じを勝手思ってきましたが、かえって規則がルールとして見えなくなって、解明できないような感じがしてきました。ルールの世界は根源の世界は次元が低い可能性が出てきたように感じました

  4. こはな より:

    運命のルールって何かと考えました。ある時間になると、何かが起こり、また、終わったりすることなのかもしれないと思います。それは音楽の演奏と似ているのかもしれないと思います。

  5. まりん より:

    音楽と絵画の違い、それを次元から考えるのが理科系の視点を感じます。音楽は1次元、絵画は2次元の世界で音楽のほうが次元が落ちるのだと思います。絵画は次元が1つ上なのでルールがないように感じるだけで、実はルール通りなのだと思います。そう思うと3次元や4次元と次元が上がるほどますますルールがないように感じられるだけで実はルール通りなのだと思います。音楽の世界では時間という1次元の世界だから、いつでもどこでも聞くことができます。そんな1次元の音楽のルールと運命のルールは近いというのがすごいです。運命のルールは音楽以上に相当きつく自由は無いかもしれないというのは次元がさらに落ちて、いつでもどこでもルールから外れることがないような感じです。次元が落ちるほどに神の作った運命の規則に近づいて、次元が上がるほどにそのルールがまるで無いように見えるから、私たちのほとんどが自由だと錯覚できるのかもしれないと思いました。だからこそ、ますます自由があるかのような高次元を目指そうとするのかもしれないと思いました。低次元の世界にこそ運命の規則があるという視点がとてもすごいです。作詞作曲をされながら、音楽のルールと運命のルールとが近いという発見があるのは、主題歌を作る過程も神への問いのように感じました。

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