私がS教授の家を訪問したとき、教会はありませんでした。
教会はその後、どうなったと思いますか?
次第に、クリスチャンも増えました。
それでクリスチャンは小さな土地を買いました。
そこに教会を移そうということになったのです。
どうやって移したかと言えば・・
みんなで教会を持ち上げて、縁の下に丸太を入れました(汗)。
そして教会にロープを結んで、みんなで引っ張ったのです(爆)
「オーエス、オーエス」
綱引きが始まりました。
もちろん町のみんなが引っ張りました。
子供も老人も、仏教徒もスイスラム教信者も(笑)。
「オーエス、オーエス」
道をゴロゴロと引いていかれる教会・・。
GHQの将校が通りかかったら、もちろん彼も引いたと思います。
キリスト教の世界では奇跡という言葉がよく使われます。
それは神の奇跡という意味です。
しかし本当の奇跡は、こういうことにあったのではないでしょうか。
きょうは映画ブログもここも同じ内容です。
http://113.43.197.61/themovie/
道をゴロゴロと引いていかれる教会…なんど思っても凄いです。こんなに大事にされてる教会ってあるかしらって。とても感動的なお話に感じます。「本当の奇跡は、こういうことにあったのではないでしょうか。」というのにとても考えさせられます
子供も老人も綱をひくことはみんなが誰でもができることだと感じました。そこには差別がないと感じました。奇跡というと特殊な能力を持った偉い存在がおこす特別なことだと思い込んできましたが、教会を建ててくださったS教授のご家族にとって教会が解体されたり別の教会になって移転されたりするのではなく、その教会でなくてはならなかった町の人々の気持ちだった気がしてみんながうれしい気持ちのオーエスオーエスだった気がして、通りかかった人も思わず我を忘れてオーエスオーエスとしたくなってしまう気持ちそれがワンネスの奇跡である感じがしました。教会もうれしかった気がしました。みんながひとつになってオーエスオーエスとなって受け身のなすがままの教会はうれしい気持ちである感じがしました。奇跡は楽しくてうれしくて笑顔で皆がひとつになったときに起こることに感じました。S教授の一家が仏教徒でありながら教会を建てたことそのことと映画ワンネスはなにか同じことに感じてきました。
ロープで、キリスト教徒も、仏教徒も、イスラム教徒も、子供も老人も、町のみんなに、引かれていく教会に、微笑ましいな、です。引いている人、引かれている教会、ここを見ているみんなが、ワンネスなんだ、と思いました。あったかい思いが流れてくる。。です。「オーエス、オーエス」、一緒に参加して・・「オーエス、オーエス」。。(笑)
感動しました。分け隔てが無くなったとき、人はこんな奇跡を起こせるのだと思いました。なぜだか分かりませんが、「生まれ変わりの村」のことが思い浮かびました。講演会や本で、もりけんさんがご紹介されていた「生まれ変わりの村」のお葬式となんだか雰囲気が似ているような感覚を覚えました。どちらもこの目で見たことがないのに不思議です。場所も時代も違う、この2つのことなった出来事には共通点があるような印象を受けました。それはやはり死も含めたすべての生への肯定感なのかもしれないと思いました。
みんなで教会をとっても大事に移動されたことがわかってきて、すごく感動しました。奇跡って、このことだと思いました。愛ある風景に心がしみてきます♪
S教授のおじいさまが建てられた教会は、地域のクリスチャンのために建てられて、その後もずっと愛されつづけ、クリスチャンの人々だけでなく、誰からも愛される、そんな教会だったんだなぁって思います。だからこそみんなで綱をひっぱり、大切な教会を引っ張っていったんだと思います。老若男女、宗教をこえて、みんなに愛されてる教会は、もともと、周りの人々(クリスチャン)のために建てられたものです。そんな思いが町の人々たちみんな、さらにはGHQの将校の心をも打ったんじゃないかと思います。神の奇跡は、特別なことでも、常軌を逸したことでもなくて、とても身近で、あたたかい思いやりから生まれた、宗教をこえた人々のつながりの中にこそあるんじゃないかって。そんなことを思いました。とてもすてきな光景だなって、じーーーんときます。
みんなが対等になれているのだなと思いました。私の信じている神も、あなたの信じている神も同じように尊重しているようで。みんなが対等になれたから奇跡のようなことが起こったのだと思いました。
教会は、S教授の家から新しい場所まで、引っ張っていったのですね。・・すごいです(驚)。
「オーエス。オーエス」・・まさに、でっかい綱引きです・・。
きっと町中の皆さんが手伝われたのだと思います。
子供も老人も、男も女も、国籍も宗教も関係なく・・みんなで、引いたのだと思います。
これは、本当に「ワンネス」だと思います。そして、これはやっぱり「奇跡」なのだと思います。
建物を持ち上げるってすごい人手がいったと思います。それが出来てしまうほど、地域の人々がみんなこの教会と、S教授のおうちを大事に思ってたんだと思います。S教授のおうちが地域の人たちにギブしたことが、またギブとなって返ってきてると思いました。奇跡はただひたすらギブし続けたところに起きたみたいに思います。