映画「生まれ変わりの村」・・「在るがままは普通の人には理解できないでしょう」

2015/01/31 7:58 AM

 だるま 
 だるまさんも、達磨が起源のようです。
 しかし、大願成就や当選祈願や必勝に使われるのはなぜでしょう。
「腹が減ったら飯を食う、眠くなったら寝ること」が欲望と取られ、それが拡大解釈されたのかも知れません。
 しかも「七転び八起き」とか、努力の象徴になったのも可笑しいです(笑)。 
 でも達磨はそれでよいと思っているに違いありません。
 なぜならトラさんは言いました。
「在るがままは普通の人には理解できないでしょう」
 おおお・・
 さすがに在るがままの境地と言われるわけです。


シェアしましょう !



コメント

  1. なんしぃ より:

    欲望とか夢とか希望を、エゴを、生まれ変わりの村の人々には、感じることがないです。ダルマには、努力や目標達成を感じます。あるがままを理解することは、なかなかできないことなんだと感じます。生まれ変わりの村の人々に、98%の人々が今が幸せであれば、何かを目指すことはしない、考えもしないような気がしました。夢を持ったりもしないような感じがしました

  2. こはな より:

    達磨さんが起源のだるまさんも、有名な「七転び八起き」も達磨さんが起源のようなのだと思います。「腹が減ったら飯を食う。眠くなったら寝ること」・・。理解されてないのに、それはそれでいいというのが達磨さんであり、在るがままの境地・・だからなのだと思います。

  3. まりん より:

    在るがままの境地。。。普通の人には理解できない。。。ほんとにそうです。達磨さんの言葉も意味もわからずに拡大解釈して今もずっと私たちの願望達成の象徴のように解釈されてるだるまさんは、それでもよいと。何だか泣けてきました。神もそんなだるまさんと同じように私たちから拡大解釈されたり。。。でもそれで裁いたり罰を与えたり評価したりしてなくて。トラさんの言葉、とても深いです。

  4. まるこ より:

    だるまさんがなぜこういう風に使われるのか考えたことなかったです。どう見ても「在るがまま」な感じじゃないです(笑)でもそれも達磨さんからしたら「在るがまま」のうちなのかなと思います。これが「在るがまま」の禅宗じゃなかったら・・と想像すると、とても許してもらえそうにないです。「お前は何もわかっとらん!けしからん!」と、めちゃくちゃ怒られそうです。そこには「正しく理解しないといけない」という考えがあって、それが「教え」にも繋がっているように思いました。

  5. 小町 より:

    七転び八起きはどんな状態になっても諦めないで、必ずチャンスはあるとなるものだと思います。何とかしようは在るがままじゃないのはわかりました。普通のこのダルマさんは我慢や努力で勝つことだと思いました。でも、在るがままはそれを超えているんだと思います。理解できなくて、こじつけた可能性は大きいかもと思います。

© 2015 森田健 All rights reserved.