講演会の予約はあっと言う間に満員になったそうです。ありがとうございました。
さて、六爻占術の師匠である王虎応(トラさん)は中国仏教会員の理事です。そして禅宗という宗教に入っています。規律は何もない宗教です。なぜなら「在るがまま」の宗教だから。
中国禅宗の開祖は達磨(だるま)です。
ある日弟子が達磨にお願いしました。
「師匠、そろそろ最後の教えを伝授願います」
「それはな、腹が減ったら飯を食う、眠くなったら寝ることじゃ」
みなさんのレスを読むと、欲に忠実になれ・・と解釈しているようです。
そうでしょうか?
人を愛せよとか、自分を向上させよ・・とか言っていないほうが重要だと思いませんか?
講演会あっという間に満員でめちゃ熱いです。もりけんさんだからこそ。。。そう思います。
宗教なのに規律もなくて、最後の教えも教えじゃないです。今までの宗教への思いこみがガラガラ崩れます。最後の教えをお願いされたのに原点、始まりに戻ってるような感じです。愛せよや向上させよといってなくて、すーっと力が抜けます
何かをしなさいと言っていないと思いました。達磨という人の絵は初めて見ましたが、瞑想をしている感じがして、人間だと思いました。自問自答しているような、何かを教えるとか強制するとか人を助けようとかもしていなくて、世の中をよくしようとかも感じられないと思いました。日本人ならばダルマを知らない人はいないと思いました。その禅宗の大元の人は、何かを為そうとかしていなくて、問いがある感じがしました
こんな宗教初めて聞きました。上から目線ではない宗教が存在していたのだと思いました。宗教が否定されていない・・・とかなり目からウロコです。宗教の概念も崩壊します。規律のない宗教って・・と思いました。
人を愛せとか言われても、自分がかわいいです。向上せよとか、成長せよとか言われても、いまの自分を生きるだけで精一杯です。しかも、ずっと「いま、ここ」しかないです。飯食って、寝る。それだったら、いまのままでできます。そのままでいいんだよって、無条件で肯定してくれているように感じます。