私たちの多くは、知っているつもりになっているのではないかと思います。
たとえば、あの世や来世のことです。
生まれ変わりの村で私が一番エネルギーの必要だった質問は
「裁きはありましたか?」
「カルマのようなものはありますか?」
でした。
裁きについては、何人もの人がきょとんとした顔で「ないです」答えて、それ以後、その質問はやめたほどです。
カルマについては、罪を犯した人、自殺した人が必要でした。
5人の自殺した人に会うことができて、それぞれ言いました。
「自殺で死んでも、普通にみんなが行くあの世に行けました。そして今は幸せに暮らしています」
今のところ、カルマは見当たりません。
けれど罪を犯した人も自殺した人も言いました。
「もう罪を犯したくないし、自殺でも死にたくない。なぜなら前世を覚えているので、次はちゃんとした人生を思い出として残したいです」
他の存在からの裁きではなく、時空の価値観から切られることを意味するカルマではなく、自分史としてステップアップしているのです。
今まで言われてきたことと、ずいぶん違いました。
人間は知っているつもりが好きなのではないかとも思います。
それが土台になり目標も作れます。
持論をぶちかますこともできます。
「知っているつもり」の塊として生きている。書いてくださった視点から自分を眺めたとき、ほんとうにそう思います。「知っているつもり」が頭と身体の隅々まで浸透しきっている。そんな感覚を覚えます。いままで全然違和感無く、こうやって生きてきたのだと思います。だからもし自分が、生まれ変わりの村で調査をしていたとしても、もりけんさんがされた質問は全く出てこなかったと思います。生まれ変わりの村で自殺や罪を犯した複数の前世記憶者から「カルマ」や「裁き」についての回答を得られたことは、人類にとってめちゃくちゃ大きな情報だと思います。でもそんな情報も「何も知らない」を生きていらっしゃるもりけんさんの問いが起点なのだと思います。目標も作れるし持論もぶてるという指摘にもハッとします。本当の意味で、常に「何も知らない」という位置に立っていれば、どちらもできないはずだと思います。
あの世のこと、実際に見たこともないのに、なんとなくこんな感じ・・と勝手に想像していたと思います。みんなそれぞれが、あの世はこんなところ・・と、自分の都合のいいように作り上げて、知ってるつもりになって、持論をぶちまけている状態なんだと思います。もりけんさんの質問はすごいです。私は精神世界のこととかも全然知りませんでしたが、ワルイコトをするとか、自殺をしたりしたら、死んでからいいところにいけない・・とか、なにかいいことをしたり、頑張ったら来世報われるとか、そういうことを言われたり、また自分自身もそう思っているところがあったと思います。自分が見てきたわけではないし、誰かが見てきてそういってるわけではないのに、そういうのはあると勝手に思っていたんだと思います。たぶんほとんどの人がそう思ってここまで来たと思います。だから、もりけんさんがエネルギーを使ってこの質問をしてくださって、あの世にカルマはない・・・と言う回答を得られたということはほんとにすごいことだと思います。そして自殺したり、犯罪を犯した方は、罰を受けたからそれをしないのではなく、自分がそれを記憶していることで、もうそれはやめようと思われるんだと思います。誰かに裁かれたり、言われたりして・・ではなく、自分がしたことを覚えている・・・・ということが、次の自分の行動を決めるんだと思います。何をしても宇宙に裁かれるのではないのだと思います。
知っているつもりは、目標を作ってしまうように感じました。目標を持たないようにすることをやめれなかったのは知っているつもりだったからに感じました。知っているつもりのことにもう一度、問いを持つことで、目指すとか目標が自ずと消える感じがしました。目標は積み上げのことに感じました。それらはすべて1つに収束してしまって、目指せば目指すほどガチガチの世界になっていくと感じました。それほど知っているつもりは危険なことであったように感じてきました
私は、あの世や来世のこと、まったく知らないでいたにも関わらず、宗教や精神世界系の本を読んで、勝手にわかったような気持ちになって、知っているつもりでいたと思います。そして、自分が「知っているつもり」状態であったことにすら、気がつけていなかったと思います・・・。さらに、このレスを書いている、今でさえ、「知っているつもり」状態を抜けでていないです。
あの世についていえば、生まれ変わりの村にもりけんさんが取材に行かれて、証言内容を記した本を読ませていただいただけです。だから、私は、何も知らないのとほとんど同じで、本当にまだ知っているつもりになっているだけだと思います。私は、まだ何も知っていなくて、知っていないことすら、全然気がつけていていないと思います・・。
もりけんさんは自分で調査をして、裁きもカルマも出てこなかったので、逆に人は知っているつもりが好きなのかも・・と思ったのだと思いました。多くの人が古い価値観をずっと維持しているように見えるのかもしれないと思いました。
知らないと不安だから知識はこれでもかっていうくらい、何でも詰め込みたいのが人間なんだと思います。自分が知っていることで優位になりたいし、差が出来ると思います。カルマがあると神の価値観を身につける方が先決になってきます。それが蔓延しているし、私だってその中で右往左往していました。もりけんさんがカルマや裁きの質問がすごく大変なエネルギーになったのが、この根強い価値観の塊に挑んでいたと思います。知ったつもりで天国も地獄も語られてきました。生まれ変わりの村での質問がそれをあっさり壊してくれて、本当にものすごいことだと思います。自分で悪いと自覚できた時に人は自然と変えられるんだと思いました。何度だって、自分から出発できるというのは、本当にホッとさせられます。体験したことは自分史だと思います。持論をいうより大事なものだと思います。
あの世のには裁きはあるしカルマもあることは
よく聞いていたので何の疑問も持たずに当たり前と思い込んでいました。
知っているつもりになっていたと思いました。
そんな当たり前と思われていたことに対する質問を考えることも実際に質問することもスゴいエネルギーを使われたのだと思いました。
その質問により今まで思い込んでいたあの世が大きく違っていました。
また、裁きやカルマではなく自分史としてステップアップしていくことに感動しました。
すぐにわかったつもりにならないようにしたいです。
あの世にいき生まれ変わってきた方たちに裁きやカルマは無いということがわかったのは、もりけんさんが「知ってるつもり」ではなかったからだと思いました。裁きやカルマがあると思ってたら、きっと質問の仕方もニュアンスも違ったんじゃないかと思うからです。知らないから問いが生まれるけれど、すでに知ってる先入観を前提に問いかけてたら、今までの先入観を超える情報は出てこないです。そうやって今まで誰1人、裁きやカルマはないという情報を引き出すことはできなかったんだと思います。