昨日は、僕は高校二年の時から、神と共に在るという感覚があり、それだと、どこだって涅槃のはずです・・と書きました。
きょうは、僕にとっての神を簡単に書きます。
僕は上智を出ているのでキリスト教的だと思われる方もいるかも知れませんが。僕にとっての神はかなり違います。
物理方程式(ルール)を作った神で、ルールと共にあるのです。
つまり自由意思はありません。
だから祈りとか、まったく通じません。
その代わり、物理方程式がすべての人に平等に作用しているように、神はすべての人に対して完全に平等です。
信じるとか信じないとかも無関係です。
でも意識の世界を強くしてしまうと、神との関係が疎遠になるようです。
森田くんが高校2年のときに出会った神。。。それは物理方程式を作った神で、ルールと共にある神なのだと思います。たとえば重力がそれが発見される前からずっと、発見されてからもそれを知る知らないも、信じる信じないもなしに、すべてに作用してるのは、それがルールだからなのだと思います。
昨日のお話で、涅槃とそうでない世界があるように二分してたことに気づきました。二分するのは自分たちの価値観からです。天国と地獄も、涅槃とこの世の苦も、善悪の価値観から生まれてきたのかもしれません。二分する神だとしたら価値観のある神だと思います。
今までずっと価値観のある神を意識してきて、物理方程式のルールの神を無視してきたのかもしれないと思いました。それでもルールは平等にすべてに作用してて、意識で何を思い考えようと神はすでに共にある。。。どこまでも深く優しく平等な神。。。そんな神を知ることができたのはもりけんさんからです。
物理方程式をつくった神、とてもかっこいいと感じました。ルールを作った神ということは、今まで初めて知りました。そのようなことを言ったりしている人を見たことも聞いたこともないと感じました。祈ってもききめがないならば、祈ったりしなくなって、神というものに対して依存したりしなくなるように感じました。神と対等になる感じがしました、とても大切な情報を共有させていただいていると感じています
神は平等だと言われていても、信じたものだけの神を宗教はうたってくれています。ルールの神なら本当に平等だと思いました。自由意思は無いにある種の開放感さえ感じてきます。もりけんさんはルールに神を見出していると思います。自分だけの神にしてないです。だからこそ神に恋しているし知りたいと思っていると思います。意識は信じる信じないになるけど、神を感じていたいは奥は深いと思ってきます。
もりけんさんの思う神は、信じる信じない・・そういう風に二分することもなく、完全な平等なのだと思います。有無を言わせない・・それが物理方程式なのだと思います。