映画「ワンネス」 ユングにおけるアニマ・アニムスとの出会いの私の感想 2013/10/17 7:25 AM 自分の中から「声」がすれば、それだけで舞い上がってしまう人もいそうです。 神からのメッセージだと思う人もいるかも知れません。 でもユングは違いました。 自分を外からの視点で、客観的に分析したのです。 その結果がアニマ、アニムスの発見に繋がりました。 神の声だとすれば、そこから情報を得て、生き方につなげていこうする人もいそうです。 しかしユングは「結果」として利用せず、原因の世界を探ろうとしました。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「ワンネス」 ユングにおけるアニマ・アニムスとの出会い 映画「ワンネス」 無意識と意識の橋渡し役としてアニマを位置づけた » コメント まりん より: 2013/10/17 08:58 いきなり「声」が聞こえたら。。。舞い上がってしまう。。。ズボシだと思いました。困惑したり驚いたり舞い上がったり、とにかく自分に起こった不思議な出来事で頭がいっぱいになると思います。でも、ユングさんはその反対です。客観的に外から分析するという視点にガンガンきました。もりけんさんと同じだって思います。ユングさんが「声」を分析したからこそ、誰にでも当てはまるアニマ・アニムスを発見し、誰もがその情報を共有できる。。。メチャメチャすごいです。もりけんさんと、ユングさんは、結果ではなく原因を鋭く深く見つめて、問い続けて、自分にはない理系的な視点をものすごく感じます。とてもキました。 なんしぃ より: 2013/10/17 11:23 自分を外側から見ていると感じました。中から声がしてもその声を利用しなかったというところに、自分を例外とか差別化したり特別視していないと感じました。根源に問いがある人は対等感や平等感を持っている感じがしました。それは差異があるままの個をみとめ受け入れ、あるがままをよしとしているように感じました。改革派ではないと感じました。知りたいという好奇心で動いている感じがしました。自分の利益の追求ではなくあるがままの好奇心を感じました まるこ より: 2013/10/17 12:12 ユングは自分の内側から聞こえた「声」を特別視しなかったのだと思います。この「声」はいったい何で、どこから来ているのかという問いを持ったのだと思います。その問いへの答えが、アニマ、アニムスという仮説となった。もし問いを持たずに神の声だと断定していたら、無意識世界の探求はあり得なかったのだと思いました。問いを持って自分を外側から見たからこそ、アニマとアニムスが発見されたのだと思います。客観視と問いがキーだったのだと思いました。 みっく より: 2013/10/17 15:03 自分が意識しているもの以外の声が聞こえてきたら、確かにとても驚いてしまうと思います。ありえない・・とナカッタコトにしてしまうかもしれません。逆に、自分は神の声が聞こえる特別な人間ではないかと思ってしまうかもしれません。でもユングはそのどれでもなく、それを生き方に利用したりもせず、なぜ・・を考えたのだと思います。それがアニマ・アニムスの発見につながったんだと思います。声が聞こえて、それで終わり・・にしてないと思いました。原因の世界を探ろうとした・・というのが、もりけんさんと同じだと思います。 どせい より: 2013/10/17 22:02 ユングさんが、自分を外からの視点で、客観的に分析したという指摘・・とにかくすごいと思います。外からの視点で分析することができたので、アニマ・アニムスの発見に繋がったのだと思います。森田さんが、それに気がつかれたのは、ご自身も、普段から、外からの視点で、客観的に分析しようとされているではないかと思います。ご自身のHPの独り言とか、そうです。自分のことを外からの視点で見ていると思います。あと、六爻占術とか占いもそうです。森田さんは、占いも主観ではなく、客観的視点で見られていると思います。普通は、こうはいかないです。もうほとんどの人は、視点が主観的になってしまっていると思います。だから、事象があったとしても、それを結果としてしか利用しないのだと思います。ユングさんも声を聞いて、それを「結果」として利用するのではなく、「原因」の世界を探ろうとしたのだと思います。 Anne より: 2013/10/18 00:27 もし自分の中から声がしたら、私って凄いとか特別かもなどと思ってしまいそうです。自分の内側とか生き方に興味が向いていたら、内側からの声を客観的に分析することは出来ないと思いました。視点がどこに向いているのか、なのだと思いました。ユングは内側からの声を自分がやってきたことの結果として見ないで、自分に起こったことの原因を追究したのだと思いました。 こはな より: 2013/10/18 00:46 結果として利用せず、原因の世界を探求するのがカッコいいです。その声の正体そのものを原因の世界を知りたいと思ったのだと思います。 koil より: 2013/10/19 22:51 神からの声が聞こえたとしたら 確かに 生き方につなげて 利用するのではないかと 思いました。 でも、利用することなく、 客観的に分析して 原因の世界を求めた結果 アニマとアニムスが 発見されたのだと 思いました。 外側の視点を持てることは すごいと思いました。
いきなり「声」が聞こえたら。。。舞い上がってしまう。。。ズボシだと思いました。困惑したり驚いたり舞い上がったり、とにかく自分に起こった不思議な出来事で頭がいっぱいになると思います。でも、ユングさんはその反対です。客観的に外から分析するという視点にガンガンきました。もりけんさんと同じだって思います。ユングさんが「声」を分析したからこそ、誰にでも当てはまるアニマ・アニムスを発見し、誰もがその情報を共有できる。。。メチャメチャすごいです。もりけんさんと、ユングさんは、結果ではなく原因を鋭く深く見つめて、問い続けて、自分にはない理系的な視点をものすごく感じます。とてもキました。
自分を外側から見ていると感じました。中から声がしてもその声を利用しなかったというところに、自分を例外とか差別化したり特別視していないと感じました。根源に問いがある人は対等感や平等感を持っている感じがしました。それは差異があるままの個をみとめ受け入れ、あるがままをよしとしているように感じました。改革派ではないと感じました。知りたいという好奇心で動いている感じがしました。自分の利益の追求ではなくあるがままの好奇心を感じました
ユングは自分の内側から聞こえた「声」を特別視しなかったのだと思います。この「声」はいったい何で、どこから来ているのかという問いを持ったのだと思います。その問いへの答えが、アニマ、アニムスという仮説となった。もし問いを持たずに神の声だと断定していたら、無意識世界の探求はあり得なかったのだと思いました。問いを持って自分を外側から見たからこそ、アニマとアニムスが発見されたのだと思います。客観視と問いがキーだったのだと思いました。
自分が意識しているもの以外の声が聞こえてきたら、確かにとても驚いてしまうと思います。ありえない・・とナカッタコトにしてしまうかもしれません。逆に、自分は神の声が聞こえる特別な人間ではないかと思ってしまうかもしれません。でもユングはそのどれでもなく、それを生き方に利用したりもせず、なぜ・・を考えたのだと思います。それがアニマ・アニムスの発見につながったんだと思います。声が聞こえて、それで終わり・・にしてないと思いました。原因の世界を探ろうとした・・というのが、もりけんさんと同じだと思います。
ユングさんが、自分を外からの視点で、客観的に分析したという指摘・・とにかくすごいと思います。外からの視点で分析することができたので、アニマ・アニムスの発見に繋がったのだと思います。森田さんが、それに気がつかれたのは、ご自身も、普段から、外からの視点で、客観的に分析しようとされているではないかと思います。ご自身のHPの独り言とか、そうです。自分のことを外からの視点で見ていると思います。あと、六爻占術とか占いもそうです。森田さんは、占いも主観ではなく、客観的視点で見られていると思います。普通は、こうはいかないです。もうほとんどの人は、視点が主観的になってしまっていると思います。だから、事象があったとしても、それを結果としてしか利用しないのだと思います。ユングさんも声を聞いて、それを「結果」として利用するのではなく、「原因」の世界を探ろうとしたのだと思います。
もし自分の中から声がしたら、私って凄いとか特別かもなどと思ってしまいそうです。自分の内側とか生き方に興味が向いていたら、内側からの声を客観的に分析することは出来ないと思いました。視点がどこに向いているのか、なのだと思いました。ユングは内側からの声を自分がやってきたことの結果として見ないで、自分に起こったことの原因を追究したのだと思いました。
結果として利用せず、原因の世界を探求するのがカッコいいです。その声の正体そのものを原因の世界を知りたいと思ったのだと思います。
神からの声が聞こえたとしたら
確かに
生き方につなげて
利用するのではないかと
思いました。
でも、利用することなく、
客観的に分析して
原因の世界を求めた結果
アニマとアニムスが
発見されたのだと
思いました。
外側の視点を持てることは
すごいと思いました。