映画「ワンネス」「和」 神は能動的か?

2014/05/16 6:48 AM

  
 神が能動的かという問いも大事です。
 若いころから私たちは能動的に生きることをヨシとされてきました。
 目標を作ってそこに向かうという人生です。
 能動的に生きた時、その人の人生は周りから評価されると思います。
 神もそうなのでしょうか?
 はい、一般的にはそう考えられています。
 でも能動的というのは、激しい方向性を持っていると思いませんか?


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コメント

  1. 和佳 より:

    方向性と能動についてとても考えさせられました。…なにはなくとも 誰に言われなくても進んで行動する人って…確かにとても褒められると思います。めったに出来ないことに思うからです。そのあと何度か読んでて…目標を作るって…改めてスゴイことだなと思いました。目標って…◯◯を達成とかにもつかいますが…標的をさだめるときなんかもつかいます。…ターゲットをロックオンしてるのとにてます。そのあと追尾機能かなんかで…目標物を追いかけ回すミサイルみたいな神様を思いました。なにか…今してるお話ってなんかむちゃくちゃデカイことなんじゃないかなぁって思いました。
    ……私とかって糸のきれた蛸みたいな人生なので……そういうターゲットをロックオンしたら…そこに到達できるように 目標値や現在地、時間情報がとれてシュミレーション演算 軌道変更が出来るような機能設計のものになにかあこがれてしまうのですが…これってちょっと危険なのことなのかもって思いました。ターゲットがそれであるその状況を問うというのはなんかそこには絶対ないかもっておもったからです。…なんか非常に考えさせられてます

  2. まりん より:

    小さいころから、夢を聞かれてどんな夢でもそれをほめられたり、夢がないと夢をもつように言われたり。それは能動的に生きるのが良いことだという価値観があるからだなって思いました。神も宗教によっては奇跡をおこしたり、災いをおこしたり、この世界に能動的にかかわってくるようなイメージがあります。そうでなくても善悪の価値観があると思ってるから、評価や裁きもあって強い方向性をもってる神しか考えたことなかったんだと思います。例えば戦争か平和かも、まるで私たちの自由意思にたくされて選べるかのように思ってきたのも、能動的というのがその根底にあるからだと思いました。意識で選べるという思い込みがあるからです。けれど、もりけんさんや下條さんの仮説に出会って意識は無意識の支配下で、運命のままだというのを思うと、その根底がガラガラ崩れます。能動的なんてありえないと思いました。神だって意思や価値観もないのに、能動的になりようがないです。いままでずっと能動的な神を想像してきたからこそ、夢や目標をもってがんばることがイイコトで、それを目指そうとしてきたのかもしれません。でも価値観のない神にとっては「あらゆることに同列の価値を置いてる」というもりけんさんの言葉通りだと思います。能動的とは正反対に方向性なんてまったくない神を思いました。今までイメージしてきた神とはまったく違う神の性質にまた新たに気づかされてます。

  3. 小町 より:

    目的を持つ時、部屋にその目的の言葉を貼り紙して、忘れないようにすることはよくあります。神がそれを見て、今日も頑張ろうと思っているのは想像しがたいし、そんな神は神じゃないと思ってもきてしまいます。神が目標に向かい創造しているのは無いと思います。

  4. まるこ より:

    神が能動的に生きていたら、それこそ行き着く先が決まっていることになりそうです。神の目標と計画があって、私たち地球人を含む宇宙のすべてが、ゴールへ到達するための手段のような存在だと言えそうです。常に一つの方向性を持っているのが能動的な生き方だと思います。もし神がそのような存在なのだとすれば、それも宇宙を収束させてしまいそうです。評価と言っても神の場合は自己評価しかなさそうです。だとすれば自己満足のために宇宙をつくって自己完結するという構図になりそうです。そんなことをして何になるんだという疑問がわきます。でも人類はずっと神をそのように考えてきていると思います。能動的かどうかという問いも、いままで全く問われていなかった視点だと思います。

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