講演会の講師をやるとき、舞台に出る直前につぶやく言葉がありました。
「自分を信じている」
これを言うと、上がる度合いが減りました。
今回、テレビの収録では別の言葉に変えました。
本番の一分前、僕はつぶやきました。
「在るがままの僕で」
これは効果がありました。
スッと落ち着きました。
でも「有のままの僕で」はどうか?と考えました。
有りのままの僕って何?・・という疑問に結びつきました。
とっさに「在るがままの僕で」に戻しました(笑)。
「在るがままの僕」はすべてにオーケーする感じでです。
スタジオに出るとすぐに流れに乗ることができました。
これまで講演会でつぶやいてきた言葉は、上がる度合いが減ってとても効果があったのだと思います。けれど、今回のテレビ収録では「在るがままの僕で」という言葉に変えてみたのも、「有りのままの僕で」はどうか?と考えてみたのも、まるで実験みたいで、収録すら実験場で森田君自身がサンプルみたいです。講演会だともりけんさんの主導になるけれど、ゲストとして呼ばれる場では司会者やコメンテータたちがいて、すでにできあがってる場に後から入っていきます。そんな場に入るのに「在るがままの僕で」はすぐに流れに乗ることができたのだと思います。昨日のワッハッハッモードも、もりけんさんそのもので、「在るがままの僕で」全開です。「有りのままの僕で」だと。。。。確かにそれって何かわからないです。
「生まれ変わりの村」とその主題歌に出てくる「在るがまま」は、緊張してカチカチのもりけんさんをスッと落ち着かせ、いつものもりけんさん全開にしてくれたのだと思います。そんなすごい言葉を本番直前の収録現場で実際にテストしてるのがカッコイイと思いました。
また読んでいたら・・・すべてにオーケーする感じで、周りの流れに乗ったのだと思いました。・・・自分だけではないのかもしれないと感じました。在るがままの僕で・・・と言われたあとは、流れがもりけんさんを乗せてくれたみたいなのかもしれない・・・と思いました。
有りのままでには、何かをしなければならない感じがして、その何かを考えてしまい行動がにぶってしまうかもしれないと感じました。でも在るがままには、そのままでいいのですよと言われた感じがして、リラックス状態になって、かえって瞬発力が増す感じがしました。お陰様での状態を在るがままに感じました
在るがまま‥に生きるのはとっても難しいのだと思いました。普通の人はできないのだと思いました。でも今日の収録で「在るがまま‥」とつぶやいたら、すっと落ち着かれたんだなと思いました。「自分を信じている」では、上がる度合いが減ったのだと思います。「有りのまま‥」では、何?という疑問に結び付いたのだなと思います。「在るがまま」で生きる‥の一つは流れに乗る‥感じなのかもしれないと思いました。